2011年7月30日土曜日

合唱団の並び その4

最後に、パート内の並びについて考えてみます。
パート内の並びとは、個人個人を並べるときに、どういう要素を重視すべきかということです。

実を言うと、私自身あまりこの点についてはこだわってきませんでした。
私が関わった団では、特に誰かが指示したりせず、各自が好きな場所になんとなく立って、なんとなく並びを決めていたりします。
しかし、少人数合唱団ならそれでも良いのですが、50人近くなってくると、誰かがきちんと並びを考えないとワイワイやってるだけで練習時間も無駄になってしまいます。そういう意味では、必要悪的に誰かが考えなければいけない事態も当然あり得ます。
また、フェスティバル的な催しならば、知らない人同士で集まって歌うこともあるでしょうから、こういう場合も練習時間を効率よく使うために、スタッフが事前に並びをある程度決めておく必要はあるでしょう。

そんなとき、誰をどのように配置するか、というのは、何か法則があるようであんまり無いような気もします。
私が昔からしっくり来なかったのは、歌える人を真ん中や後方に位置させ、パート全体に聞こえさせようとする考え方。確かに発想自体は自然なのですが、その考えの中に、歌える人の声を聞かなければ歌えない人がいる、という前提があるようでそれが気に入らなかったのです。
本番前に、誰かの声を聞かないと歌えない人がいる、のであれば、それは歌えない人の怠慢か、指導する側の不備なのではないか、という気がします。
その一方、アンサンブルなのだから、他人の声を聞かなければいけないし、パートにある程度影響力のある人がアンサンブルの核としてパートの音をまとめる、という考え方はあると思います。
従って、歌える人を聞こえる位置にする、というのは、「歌えない人」を助けるためではなく、パートの音の緊密度を高めるためだと考えるならば、もう少し違う配置になるかもしれません。

これとは逆に、やや暴れ馬的な人をどこに配置するか、という議論も良く聞きます。
当然、こういう人は最後列とかに置かれやすいわけです。しかし、最後列だから聞かれにくい訳でもないし、より自由に暴れ馬になってもらっても困るわけで、これも上の議論同様、本来練習で問題無く歌えるようになってもらうことが一番正しい解決方法ではないかと思います。

あとはやはり美観の問題。
背の高い人と低い人をあまりバラバラにすると、凹凸が出来て美観的にはよろしくありません。ただ、いまどきあまりこういう点を重視するほど、美観を重視するシチュエーションは無いような気がします。そこまで美観を強調しようとすると、合唱団の中の「個人」の存在を否定するようなイメージを感じてしまい、逆にあまり気持ちの良いものではありません。

残念ながら、今回の議論に関しては、結論らしいものはありません。
せいぜい声楽家並みに歌える人を、パートの核として聞こえやすい位置に置く、というくらい。よくありがちな「歌えない人」「暴れ馬な人」に対して、並びで解決する、というのは私は違うと思います。
あとは、ディビジョンの状況とか、他パートの助っ人とか、ソロがある場合のソロの人の配置とか、所作のような演出がある場合とか、障害のある方の出入りの問題とか、そういう個別の事情はいくらでもあるでしょうから、そういったものをそれぞれで判断して頂くしかないでしょう。

特に30人以下くらいの団であれば、無理に誰かが統制をとるより、団内の雰囲気で何となく決めたとしても実際の演奏にそれほど影響を与えるとは思いません。今のところ、私はその手の団しか関わっていないので、しばらくはパート内配置にそれほど拘わりを持つことはないでしょう。

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