2016年5月22日日曜日

Maker Movementの歴史的意味 その2

今日書いてみたいことは、モノづくりや人に対するサービス以外の、事務的、管理的な仕事は遠くない将来にほとんど無くなってしまうだろう、という私の予想についてです。
AIの発達で色々な職業が消えて無くなる、といった話が最近あちらこちらで聞かれます。どんな職業が消えてどんな職業が残るのか、といったことを考えてみると、最後の最後には有史以来のプリミティブな職業だけが残るのではないでしょうか。


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仮に、モノづくり、人に対するサービスを直接的業務と呼ぶこととします。
それに対して、上記以外の仕事を間接的業務と呼びます。
直接的業務は、もちろんモノを作って売るといった行為、それから、飲食業、医療、教育といった職業が考えられます。
その一方、間接的業務とは、マネージメント、品質管理、会計・金融関係、法律関係、政治といった仕事です。もちろん、ここで言っている間接的業務の中には、人に対するサービスも入っているわけですが、私が上で言っている直接的業務とはもっと人が生存するのに必要なサービスといったイメージです。間接的業務とは、人類の文化が発展するに従って増えてきた職業たちです。

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もちろんモノを作るにも、大勢の人が関われば、進捗管理などのマネージメントが必要になったり、予算や経費など会計的な仕事も増えてくるだろう、というのが一般的な常識でしょう。
しかし私は、大規模な設計、開発プロジェクトであっても、これからはマネージメントに必要な工数や会計処理の工数は激減すると思うのです。
すぐには難しいですが、そのような流れはだんだんと起きてくるのではないでしょうか。そして、その初期の実証がMaker Movementなどで培われるのです。

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恐らくAIは、品質管理など多くの知識と経験を持った人が活躍していたであろう仕事のスキルを、あっという間に習得し、このような職業にどんどん進出していくでしょう。最初は製造するモノの品質や、サービス内容の品質をチェックするように指示されていくでしょう。
ただそれはいずれ設計した人、サービスを提供している担当者の個人的な評価と結びつけられることに繋がり、人々はAIが他人のスキル、能力を評価するシステムへと変貌を遂げつつもそれを受け入れざるを得ない状況に追い込まれると思います。
つまりAIは人を評価するために利用されることになる気がするのです。

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Maker Movementは仲間で何か面白いものを作って社会に貢献しよう、といった素朴な正義感がベースになることが多いのですが、民主化されたツールによって最終的に作られた製品の面白さがどこまでも民主的に評価され、そして優れたものが利益を上げるような構造に向かわざるを得ないと思います。
それはコミュニティを形成して、みんなで一緒にイノベーションを起こそう、というメンタリティとは違い、むしろ他人の才能に嫉妬しながらも、それを受け入れるしかない心性が要求されるようになるのではないでしょうか。

そのような公平な個人評価が実現されれば、マネジメントの負荷はかなり減ります。
そもそも最初からプロジェクトの成功を危うくさせる人を雇うことは無くなるでしょうし、開発者の特徴が明確になっていれば、その人に対するマネージメントもきめ細かく行うことが可能になり、しかもそのような仕事自体がAIによって可能になってしまうでしょう。
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人を管理するコストは、個々人の客観的なパフォーマンスが明らかになることで、どんどん下がります。
会計も入出力金額のインプットさえきちんとされていれば、適切に仕分けされ、なおかつどのようなお金の使い方が良くないのか、過去事例も交えてAIが教えてくれそうな気もします。
また人のあらゆる行為が電子化されクラウド上で管理されるのであれば、法律を守っているかチェックする機能さえ、クラウド上で実装可能となるはずです。
選挙だって電子でOK。もっと言うと、直接民主制となり誰もが重要法案に対して、Web上で投票できるようになっているかもしれません。それは政治家の必要性さえ揺るがすことになるはずです。(一般意志2.0)

このように間接的業務はますます世の中から無くなり、直接的業務だけが最後に人に残された仕事になるような気がしています。
Maker Movementとは、まさに作りたい人が作る、究極の直接的業務を志向しているように見えるのです。

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もちろん、国が違えば常識も変わるし、AIでどのような職業が取って代わられるのかは、私にも完全に予見できているわけでもなく、じゃあどのようにすればいいか、について答えることは難しいです。
それでも、Maker Movementが少しずつ人々の行動を変え、そしてそのようなエコシステムの中で社会を大きく変えていくきっかけになるであろうことはかなり確信しています。

2016年5月17日火曜日

Maker Movementの歴史的意味

ちょっと思いついたことを書いてみます。
Maker Movementは、単に個人のモノづくりがブームになった、以上の大きな意味があるのではないか、という話です。

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「個人のエンパワーメント」という視点でこれまでの技術の発展を眺めてくると、パソコンの出現というのは大きなイベントだったと感じます。
産業革命以降、工業の発展はまた分業の発展でもあり、分業化、専門家で社会は大きく効率化されました。大量生産された工業製品は人々の暮らしを潤し、そして人々はまたそのような大きな組織の歯車の一つとして、分業のシステムに組み込まれていました。

分業による効率化はパソコンの出現をターニングポイントとして、少し様相が変わっていきます。今まで人手を割いていた多くの仕事が自動化されるようになったのです。
それと同時に、その道一筋の専門家のスキルがコンピュータの機能としてインプリメントされ、誰もがアクセスできるようになりました。
少なくともデスクワークの世界においては、面倒なことがパソコンで圧倒的に簡単に済むようになったのです。

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分業から自動化へ、あるいは職人技の一般への解放へ、こういった流れは、単純な作業から人々を解放しましたが、それと同時により上位の判断力が働く人に求められるようになりました。
何かを生み出したい、巨大なシステムを作りたい、そういった野望を持つ人にはとても喜ぶべき社会が実現しました。
今では、パソコンを使えば、大量の会計処理もあっという間に終わり、動画やアニメーションが簡単に制作でき、音楽も高品位な楽器音を使って誰も演奏せずに制作でき、またそういった作業をプログラミングで全自動させることだって可能です。

パソコンは個人のエンパワーメントに大きな影響を与えたツールでした。
そして、そのような世界において、パソコンを使いこなすことは、会計や動画や音楽や文学といった多くの専門的な領域に誰もが簡単に踏み込むことができる、逆に言えば、そういった領域に踏み込まざるを得ない状況に追い込まれる、便利さと同時に使う側にリテラシーが要求されるということでもあったのです。

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Maker Movementがなし得るであろうことは、パソコンで起きたことのリアルモノづくり版です。
パソコンは所詮、デスクワークを自動化、効率化したに過ぎません。
しかし、Maker Movementでは、3Dプリンタ、レーザーカッタ、ミリングマシンなどの工作機械がパソコンに繋がれ、パソコン上で設計されたリアル世界に変換するデータは、工作機械で現実化されます。
そして、近い将来、今では多くの人がパソコンを持っているのと同じく、3Dプリンタやレーザーカッタを持つようになるのです。

その昔、インクジェットプリンタは20万円もしました。今では2〜3万円もあればプリンタは買えてしまいます。
同じように、3Dプリンタやレーザーカッタは数万円で誰もが手に入れることができるようになると思うのです。

それまで印刷屋さんがやっていた仕事を個人が出来るようになったのと同様、日常生活で必要な部品を、自分で作ることが出来る未来が訪れます。
その時、切削用データの作成方法や、物性の知識、モノを組み合わせる時のクリアランス、などこれまでモノづくりの専門の人しか知らなかったような知識が、普通の人々に必要になってしまうのです。

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パソコンと同じく、できる人はどんどん一人で勝手に覚え、一人でモノづくりが出来るようになるでしょう。
また、何かを作り出したいと思うクリエイティビティは今後の社会において、重要な資質の一つになってくるに違いありません。
そして、これがMaker Movementの本当に大きなインパクトだと私は思うのです。