2007年12月30日日曜日

今年劇場で見た映画07篇

今年の締めくくりに、映画館で見た映画を全部ご紹介。
去年の一覧はこちら

・007 カジノロワイヤル
・マリーアントワネット
・さくらん
・パフューム
・ハンニバルライジング
・バベル
・ラブソングができるまで
・スパイダーマン3
・ユメ十夜
・プレステージ
・300
・ボルベール
・トランスフォーマー
・呪怨 パンデミック
・デスプルーフinグラインドハウス
・ショートバス
・ヱヴァンゲリヲン新劇場版
・プラネットテラーinグラインドハウス
・インヴェージョン
自虐の詩
・バイオハザード3
・キサラギ
・アイアムレジェンド
・クワイエットルームにようこそ

ということで、皆様、良いお年を!

2007年12月28日金曜日

クワイエットルームにようこそ

松尾スズキ監督の「クワイエットルームにようこそ」を観ました。
精神病院の女性隔離病棟に自殺未遂で入れられた主人公、明日香がそこで様々な人と出会い、また自身がそこに入るまでの人生を反芻しながら、二週間で退院するまでの様子を描いた映画。
もちろん、そこで登場する人々は、一癖も二癖もある人たち。心の痛みゆえにその場に居ざるを得ないという、人生の負の部分が凝縮されたような空間。

もちろん、内容は相当シリアスなはずなのだけど、前半はひたすらギャグ中心で、正直、私は涙を流しながら笑ってました。これって、やっぱり演劇のノリなんですね。役者もみんな上手いし、間の取り方なんかも絶妙。
ただ、笑いの方向性というのが、確かにセンスはあるのだけど、ナンセンス系、シモネタ系、自虐系という、ちょっと日本的になってしまうのは仕方ないところか。

正直、全体的に若者視点というか、純文学的なのだけど、興味の対象が自己の内面だけというか、そういった感じが私の感性とはちょっとずれていた感じがしました。太宰治を読んだ後の違和感とでも言うべきか。
主人公の自堕落で自己中心的な生活、もちろん自分でもそれを良いものと思っておらず、常に自責の念にかられているのだけど、現実の容赦ない事件がどこまでも主人公を追い詰める。こういう破滅型キャラだからこそ、分かり合える美学というのがこの映画にはあるのでしょう。
基本的に、ついつい慎重に生きてしまう私には、この映画のような人生は望んでも送れないだろうな、と思ってしまいます。

2007年12月23日日曜日

アイアムレジェンド

「地球最後の人間」というアイデアには、何か惹かれるものがあったのです。
同じネタとしては、私などドラえもんの「独裁スイッチ」を思い出してしまいますね。何もかもめんどくさい~、みんないなくなっちゃえ、と一瞬思っても、そんな状況の空恐ろしさは、ちょっと冷静に考えてみるだけでぞっとします。

だからこそ、何が原因でそうなったのであれ「地球最後の人間」には、そういう究極の寂しさ、果てしもない孤独、という描写が絶対的に必要。そして、この映画、こういったテーマを真摯に取り上げようとしていたことについては、とても好感を持ちました。主演のウィル・スミスも、こういった演技をかなりシリアスに演じきっていたし、主人公のお供をする犬の演技も良かったです、マジで。
なので、できればもっともっと、このテーマを掘り下げて欲しかったなあ、というのが私の感想。

というのも、後半、「あれ、最後の人間じゃないじゃん」みたいな感じになってきたのは、ちょっと何となく興ざめ。
それに、なぜ一人だけになってしまったか、という理由が、ウイルスによる人間のゾンビ化・・・って、もうこの設定あまりに安すぎです。個人的には「バイオハザード」でしか許せない感じ。もう少し別の設定にできなかったもんでしょうか。
脚本的にはもう少し心理劇のような映画に出来た気もしますが、やはり最後にはそれなりのドンパチが無いと興行的にはきっと厳しいんだろうな、などと穿った見方をついついしてしまいます。

2007年12月17日月曜日

アンサンブル・プラネタ

浜松アクトシティ中ホールで開催された、アンサンブル・プラネタのコンサートに行ってきました。
デビューした頃だったか、興味を持って二枚ほどアルバムを買ったことがあります。同じ頃、ついでに編曲を手がける書上奈朋子のCDも買ってみたり。ちなみにそのCD、あらためて聴いてみるとほとんどビョークみたいな雰囲気・・・

さて、コンサートのほうですが、やはり一人一人の歌手の実力の高さはかなりのものと実感。
アカペラ・アンサンブルに必要な音程感はなかなかのもの。ただし、メンバーが変わったばかりの低声部のパートがちょっと乱れた感はありましたけど。
上三人はほぼ同じメンバーで続けているせいか、アンサンブルの持つ基本的な歌い口というか、フレージングの統制が良く取れていて、それがこのアンサンブルの音楽を特徴付けているようにも思います。
最初はPAは使わないのかな、と思ってましたが、クラシカルな発声をベースにしているとはいえ、CDと同じ音を出すためにはやはりPAは必須なのですね。ただ、積極的に音声を加工するわけではなく、あくまでも各人の声の美しさをそのまま引き出すような音響設定なのは好感を持ちました。

さて演奏の質もさることながら、私などどうしてもプロとしてのこのグループの有り様について、ついつい思いを馳せてしまうのです。
歌手とはいえ、歌う前に時間をかけて水を飲んだり、ピッチパイプで音を取ったり、その後ハミングしたり(なんかアマチュア合唱臭い)するのはちょっといかがなものか。この辺りをもっと何気なくできるように研究すべきでは、と思ってしまいました。そういうステージングも含めてプロのやることだと思うし。
そういう意味では、MCなんかもちょっと素人くさいですねえ。
あと、アンコールの一番最後に使うためだけに、ずっと舞台上にピアノがスタンバイされていたのは、やはりおかしいと思います。だってアカペラグループでしょ。

実は、一番気になるのは、アカペラのアレンジ。
CDを聴いたときから思っていたのだけど、正直、かなり凝ってます。クラシックの名曲をアカペラで歌うというコンセプトながら、かなり原曲の世界から自由に離れているし、そういうところにアレンジャーの創作意欲を感じます。
ただ、かなり高音を多用していたり(もちろん、それをこなせる歌手があっての話)、器楽的なアルペジオっぽいフレーズが多いのは、無駄に難しいばかりで、もう少し演奏効果の高いやり方はあるような気がします。まあ、あくまでも私見ですけど。

2007年12月15日土曜日

PD合唱曲に「メヌエット」追加

PD合唱曲シリーズに新曲追加しました。
メヌエット」という曲です。詩はいつもの立原道造。メヌエットということでいちおう三拍子系。

今回は、アップテンポで軽快な曲を作りたかったというのが作曲の動機。日本語のアカペラ合唱曲でアップテンポっていうのは実はなかなか難しくて、曲もそれほど多くないと思います。
歌う側としても、一般的にあまりアップテンポが得意でない方が多くて、まあたいていは単に譜面が苦手ということなんでしょうが、そんなこともあって敬遠されがち。
その一方で、合唱の演奏会で印象的なのは、そういう軽快な曲だったりします。これも歌う側と聴く側で意識の違うポイントの一つでありましょう。昨今の私のテーマでもあります。

アップテンポとはいえ、和音感、ビート感は「la la la」というヴォカリーズ(口三味線)で作りつつ、その上でソロのメロディラインが乗るというのが基本的な形。
だからメロディは、気持ちよく歌っちゃって構いません。逆に、ピッチやリズムにこだわるのは、「la la la」のパートということになるでしょう。転調も多いので、ソルフェージュ的な練習にもなるかもしれません。

興味がありましたらぜひ取り上げてみてください。

2007年12月9日日曜日

楽譜を読む-狩俣ぬくいちゃ

久しぶりの「楽譜を読む」シリーズ。以前はこんな曲を書きましたっけ。

今回は、コンクールで今盛んに演奏されている「狩俣ぬくいちゃ」。実は私、明日演奏します。これで多分、演奏するのは最後です。ちょっとだけほっとしています。
まあ読むといっても、楽譜どおりにまずは頑張ってやるしかないわけですが、あらためて曲全体を見直してみるとかなり欲張りな音楽に思えてきます。
単に手拍子、足踏みがあるという意味ではなく、求められる効果が非常に多彩で、アカペラでありながらシンフォニックな音響を指向している感じがします。同タイミングに違う要素のものが詰まっており、おかげでパートのdiv.も多くなります。
また、もう一つのポイントは、微小な単位でのポリフォニーが多いという点。このテンポで、一拍単位のパートずれがかなり多用されます。この辺りは曲を立体的に見せるために大いに工夫したい箇所です。

和声的には、沖縄のスケールをしかもポリフォニックに処理するため、むしろ機能和声的な側面を敢えて抑えていて、そのあたりがとてもいい効果を上げています(4度堆積のハーモニーにもちょっと注目)。
ですから、全体的にはハモる、ハモらない、にこだわるより、旋律の力強さでぐいぐい押し通すのが、恐らく正しい演奏なのでは、と感じます。ただしよく出てくる五度のハモリにはこだわるべきでしょう。

問題の終盤、ここでの手拍子、足踏みは、もはや作曲者による演奏者へのイジメのようなもので、おおよそ演奏し易さを考えたものではありませんが、それがコンクールという世界観の中では、ある種の達成感を感じさせる要素にもなっているのでしょう。
個人的にはこの箇所、不必要に難しい気がしますが、夏に聞いた名古屋少年少女合唱団の狩俣を聞いて、工夫すればこんなにも面白い演出が出来るんだと、別の意味でこの音楽の可能性を感じました。
むしろここは、楽譜からどの程度まで離れて、演奏者のセンスを光らせるかが試されているのかもしれません。


2007年12月4日火曜日

今年も大感激、上原ひろみ

今年も行ってきました。上原ひろみの浜松公演。
昨年の話題はココ
掛け値なしに素晴らしい、と私は言いたい。世界で最良の音楽の一つだと言っても過言ではないと、個人的には思います。
ワイルドな弾きっぷりも健在。インプロビゼーションがどんどん高揚していく感じは、もうライブでしか味わえない快感ですね。超速弾きなど、各メンバーがこれでもかという名人技を繰り広げます。
今回はギターも参加して(楽器はダブルネックだった)演奏者は全部で4人。
上原ひろみのセットも、ピアノ+いつもの Nord Lead の他に今回は Nord Stage も(エレピ用)。サウンドは全体的に豪華になりました。

それにしても、スリリングなアンサンブルとは、まさにこういう音楽のことを言うと思うのです。
敢えて、テンポの速さや複雑なリズムなどで、自らに高いハードルを課し、それを阿吽の呼吸でピタッと合わせることを最上の喜びとしているような人たち。
私もそんなギリギリのアンサンブルを体験してみたいものです。
こんなキレの良いリズムを日頃演奏している人にとっては、合唱で求められるリズム感などハエが止まるほどの生ぬるさでしょうね。
もっと、合唱にもキレのあるリズムを、私は切に求めたいです。

2007年12月2日日曜日

再び、聴いて楽しい曲

先日のヴォア・ヴェールの演奏会でアンケートをとり、その中にどの曲が面白かったか、という設問があったのですが、集計の結果、今回は面白いほどばらけていました。

今回は、組曲毎に1ステージという形を取らず、一つのステージでいろいろな曲をごちゃ混ぜにしました(コチラ参照)。おかげで一つ一つの曲に対して、お客様が意識して聞いてくれるような雰囲気をうまく作れたような気がしています。
��もちろん、第二部の「母音」は組曲ステージでしたけど)

一般の人が知っている曲を「良かった」という人は、いつでも一定量いるものです。だから、多くの合唱団では、唱歌系やポピュラー系(といってもかなり古め)のステージを作ったりするわけですが、そういうステージが必要だと考えること自体、その他のステージの存在意義を危うくすることになりかねないと思います。
今回、当然のこと、ノスタルジアの「村の鍛冶屋」「みかんの花咲く丘」にも人気は集まっていますが、実はそれと同じくらい、「狩俣」やマンチュヤルヴィや「母音」の各曲も気に入っていただけた人がいて、大変嬉しく思うと同時に、初めて聴いても面白い音楽、演奏はあり得ると確信したりもしています。

ただ、大まかに言っちゃうと、純粋合唱曲の中では、テンポが速い、音量が大きい、振りが付いている、歌以外の音がある、という要素があるほうが人気があったようです。
もちろん、シブいシリアスな音楽の良さを伝えることも大事だけれど、みんながそういう音楽を要求するのなら、それに答えるのだって重要なこと。
薄々気付いていたことを、今回の演奏会を通して、あらためて感じることが出来ました。