2010年6月30日水曜日

古楽情報誌アントレ 2010 7&8月号

Entreeアントレという雑誌をご存じでしょうか。古楽関連の楽器や演奏会の情報を集めた専門誌。
実は、今回iPhoneのアプリ"Meantone"の紹介に、この雑誌の誌面1ページを割いて頂きました。古典調律に一番興味があるのはやはり古楽の愛好家、あるいは演奏家ではないかと思います。彼らがiPhoneを持っているかは定かではありませんけれど、ハイソな方が多い古楽関係者なら、意外な食いつきがあるかもしれないと密かに期待しております。(合唱連盟機関誌「ハーモニー」で、"MovableDo"を宣伝して頂いたときに、ほとんど広告効果が無かったのが思い出されます・・・)

よくよく読んでみると、妻が7月に行う演奏会の情報も載っていました。ここでも宣伝してあげましょう。
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古楽アンサンブル クロチェット 第3回コンサート 待ち焦がれて〜フランス宮廷文化の栄華
7月11日(日)名古屋宗次ホール 15:00〜 3000円

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名古屋にお住まいの方は、よろしければいらしてください。しかし、私はその日、浜松で別の演奏会に出ているのですけど・・・

2010年6月26日土曜日

28.音楽家とデジタル音声

さて、これまでは音の物理的なリクツについて話してきましたが、ここから基本的なデジタル音声のリクツについて解説してまいります。

なぜ、それが重要かって?
好むと好まざるに関わらず、コンピュータは私たちの生活に欠かせなくなりました。なぜそうなったかというと、インターネットの普及が大きく影響しているからだと思います。
インターネットを通じて、世界中の情報を瞬時に得ることが出来るようになりました。また、各個人が世界中に向けて情報を発信することも可能になりました。

クラシック演奏の現場では、いつだってその場での生演奏が最も重要であることはこれからも変わらないでしょう。しかし、インターネットを利用すれば、最高の音楽体験でなくても、今まで聞くことが出来なかった遠い国々での演奏の動画を見ることが出来るし、隠れた名曲を見つけることが出来るかもしれません。
あなたが演奏家であるなら、地道な演奏活動だけでなく、インターネットを介して自らの演奏を積極的に世界に伝えることも可能です。もし、あなたに少しでも何か光るものがあるのなら、世界の誰かが気に入ってくれるかもしれません。会ったこともない人から賞賛を頂けるということは、身近な人がお世辞で言ってくれる意見とは違います。逆に辛辣な意見をもらうこともあるかもしれません。しかし、赤の他人の評価を真摯に受け止める度量は、そもそも演奏家として必要な資質。インターネットは生の真摯な意見を集める重要な道具でもあるのです。

いずれにしても、これからの音楽家はインターネットを介して、世界中に自分の演奏活動を積極的に紹介していくべきだと私は考えます。それによって、ネット上に様々な音楽コンテンツが増えていくことが、音楽文化の発展に寄与することになると思うからです。
そのための大きな関門は、音楽家のコンピュータリテラシーです。特に、クラシック系の方はコンピュータが苦手という方が多く、自らの演奏の音声や動画を編集してネットにアップする、ということが誰でも出来るというわけではありません。
ここからは、ネットにアップするという具体的な方法の前に、どうやって音がコンピュータで処理されるのか、その基本的な理屈を解説します。基礎がわかっていれば、具体的な方法も分かり易くなり、何より日々変わっていく技術の変化にもついていきやすくなるからです。

2010年6月25日金曜日

作曲とプログラム

もう12年前、こんなエッセイを書いていました。
他の人から見れば、会社でプログラムを書いていて、家に帰ってまで(iPhoneの)プログラムを書くなんて信じられないと思われるのかもしれません。
私自身は全然凄腕のプログラマーなんかじゃないし、オープンソースコミュニティで大活躍するようなバリバリのプログラマーでもありません。それでも、プログラムを書いて何かを仕上げるという感覚が好きなのでしょう。そして、それは作曲し終えて、一つの曲を仕上げたという快感と非常に近いわけです。

冒頭にも紹介したように、確かに作曲することとプログラムを書くことは本質的に似ていると思います。だからこそ、この二つとも家に帰ってまでやることを厭わないのでしょう。
とはいえ、会社では単純にプログラムを書くだけの仕事も、最近は少なくなってきましたし、家では乳児の世話で作曲もままなりません。子供が寝静まったら音を立てるわけにもいかないので、ここのところは作曲よりもプログラムの方がはかどっているという始末です。いや、作曲が出来ないからその代わりにプログラムをしている、と言ってもいいかもしれません。

しかし、プログラムって書かない人にその面白さを伝えることはなかなか難しいのです。
というか、ぶっちゃけ言ってプログラミングそのものが楽しいというわけでは無いのです。例えばiPhoneなら、ちょこちょこっと書いて、コンパイルして、Simulatorが立ち上がって実際に動かせます。うまく動くとすごく嬉しいし、思った通りにならないと、何でうまくいかないのか考えます。それを何度も繰り返すわけです。上手く動くと、もっとこうやってみようか、とか、使い勝手が悪いなあ、とかいろいろ不満が出てきて、それを修正しないと気が済まなくなります。そして、動かしてみて思ったとおりの感じになると、それがまたとても嬉しいのです。
意外と行き当たりばったりです。しかし、仕事と違って趣味のプログラミングはそれが楽しいとも言えます。

そう考えると、作曲が楽しいのは、好きな曲を好きなときに書いているからであって、売れっ子になって様々な制限の中、短い納期で仕上げるようなことが常態化すると、自分にとって作曲という行為がどのように感じるか、ちょっと心配。いや、もちろん売れっ子になりたいですよ。今のままがいいわけじゃあ無いんです。

2010年6月21日月曜日

すばらしい新世界/ハックスリー

Brave新首相、菅直人氏が高校時代に読んで感銘を受けたという小説。就任演説などで「最小不幸社会」を目指すといった意味も、何となく分かってきます。なぜなら、本書は「最大幸福」を目指した結果、とんでもないディストピアが生まれてしまった、という架空の未来が語られており、人間の幸福とは何かということを読むものに考えさせるからです。

元はといえば、1984年を読んだ後、Amazonに勧められるがまま買ってしまったという本。確かに、この二つの本の根底に流れている思想は非常に近いのです。
つまり、人間から創造的な発想や、激しい感情や、それを引き起こすような情報を遠ざけ、無力無知にした上で、適度な快楽を与えてあげることによって社会を安定化させるような未来・・・を描いているという点です。
1984年は政治的な色が濃いのですが、この「すばらしい新世界」では、生物学的な方法で人を無力化します。遺伝子操作された人間は、アルファ、ベータ・・・といった形で5階級ほどに分けられます。階級が低いほど、身体的、頭脳的能力は低くなり単純作業といった労働しかできないようにさせられます。彼らにはソーマというある種の麻薬が配給され、束の間の快楽が政府から保証されます。人々の欲望はほぼ簡単に成就され、それ以上の欲望を持たないように綿密に社会はコントロールされているのです。

このような社会の中で、社会の仕組みに疑問を持ち始めた二人の男と、偶然にもインディアン社会からこの社会に来ることになった男(野蛮人)がさまざまな波乱を巻き起こす、といったストーリーですが、結末は1984年同様決して明るくはありません。
そして最後のくだり、ついに野蛮人は叫びます。「わたしは不幸になる権利を求めているんです!」
不幸が全くない、あるいは完全に排除された社会に、心が焦がれるような激しい感情は必要なくなります。そのとき、人間は人間であると言えるのか、そういった哲学的な問いを読む者に突きつけます。

2010年6月19日土曜日

ゼロ・ビートの再発見(復刻版)/平島達司

0beatその筋では名著と呼ばれている、古典調律の解説本。副題には『「平均律」への疑問と「古典調律」をめぐって』と書いてあります。
タイトルのゼロ・ビートとは、二つの音を出したときのうなりが無い、ということ。例えば、200Hzと203Hzの音を同時に出すと、3Hzのうなりが発生します。音程がきれいな倍音関係で出来ていれば、変な音のうなりは発生しないのです。(「音のリクツ」参照のこと)

この著者の方は基本的に平均律を敵視しています。うなりのない美しいハーモニーを求めて、様々な古典調律の数字的な内容、音楽的な意味、そしてその響きについて解説しています。自身も自分の家のピアノを古典調律で調律するほど。また、無伴奏合唱に平均律のピアノは有害、と断言するなど、純正音程信仰が全面に醸し出されます。

とはいえ、調律は常に妥協の産物です。
先人が、どのような不具合をどのように解決するために新しい音律を作ったのか、そういった営みを読むにつれ、調律とは深い世界だなあと感じることが出来ます。
私自身なるほど、と思ったのは、その昔なぜ平均律で調律していなかったかという点。平均律の理論自体はずいぶん昔からあったのです。しかし、チューナーが無かった時代、調律師はうなりが発生しないように調律するしか無く、理論的な平均律で調律すること自体が難しかったのです。
逆に工業化が進んだ現代では、音程によってうなりが違う楽器のほうが調律時の効率が下がります。そう言う意味では平均律は、工業化時代、効率化、画一化、汎用化、といった現代的な特徴を兼ね備えているわけですね。

実際、多くの古典調律を聞き分けるのは至難の業です。そんな思いもあって、iPhoneの古典調律アプリを作ってみたわけですが、私自身は平均律をそれほど敵視しているわけでもありません。
残念ながら、実際の合唱の現場では、平均律を云々する以前のピッチ精度の悪さがあります。多くの人が普段から美しいハーモニーを聴く機会があれば良いのですが、ピアノ伴奏で流行歌を歌うような世界観のままではそれもままなりません。

それでも、歴史的事実として、また美しいハーモニーを追求しようとしていた昔の人々の想いを知るという点で、この本を読む価値は十分あるでしょう。数字は多少出てきますが、理系でなくても何とか読める本だと思います。

2010年6月17日木曜日

27.音の聞こえる方向

巷では3Dが流行っています。専用メガネをかけると画像が浮いてくるというアレ。3Dの映画では臨場感溢れる映像を楽しむことが出来ます。
ところが、オーディオの世界では、すでに3Dは達成されていたのです。音における3Dのことを、ステレオと言います。
ステレオスピーカーで聴くと、音に広がりが生まれ、それが音の良さを感じさせるのです。

二つの目が映像に遠近感を与えるのと同様、二つの耳によって人間は音の遠近感や、音が来る方向を感じることが出来ます。
では、人間はどうやって二つの耳で音の来る方向を感じているのでしょうか。
実際には、たった一つの要因ではなく、これまで書いてきた音の性質を総合的に分析して方向を判断しています。
まず一つ目に、音には速さがありますから、左右の耳に届く音の時間もほんのわずかに違います。時間差は少なすぎますが、二つの音はわずかに波形がずれていて、そのズレが方向性を感じさせるとも言われています。
次に、当然音に近い耳の方が、音が大きく聞こえます。音源が近ければ音量でも判断できるでしょう。
さらに、音は回り込む際に高周波成分が失われます。音の聞こえる方向に近い耳と、そうでない方の耳で、やや聞こえる音の周波数成分が異なります。これによっても音の方向性が知覚できるようです。
さらに、もう一つ言うと、人間は常にかっちりと頭の位置を固定しているわけではありません。むしろ落ち着き無く、いろいろな方向を向いたりするものです。どこからか音が聞こえたときはなおさらです。そんなとき頭の位置を変えれば、音の聞こえ方も変わります。頭を固定している時に比べれば、頭を動かせば、音の方向性を判断するための多くの情報が得られるはずです。
人はそうやって、落ち着き無くきょろきょろと頭を動かすことによって、音が来る方向を察知しているのではないでしょうか。もちろん、これはすべて無意識に行われており、総合して判断した音の方向だけが人の意識に上ります。

音が聞こえる方向を音楽制作時に意図的に制御することをパンニングと呼びます。方向そのものはパン、あるいは音の定位とも言います。現在では、パンの操作も音楽作りの重要な要素の一つとなっています。
様々な方向から音が聞こえてくれば、音響は立体的になり、それ自体が何らかの意味を帯びてくるからです。

2010年6月13日日曜日

26.音の共鳴

共鳴があれば音は大きくなります。
だから、多くの人は音楽には共鳴があればいいと考えていると思います。
じゃあ、その共鳴って何?と問われると、豊かに響いている状態とか、音が満たされている状態とか、やや情緒的な答えが返ってきたりします。しかし共鳴とか、共振とかいう現象は、物理的にはもっと明確なものなのです。

身の回りで共鳴を感じやすいのは、お風呂場。お風呂場で低い音から少しずつピッチを上げて「あー」と声を出してみてください。ときどき、特定のピッチのときに音が大きくなることがあることに気付きませんか?
お風呂場はたいてい密閉度の高い空間なので、音が良く反射します。このような場で音を出すと、ちょうどお風呂場の寸法と音の速さが割りきれるような周波数で音が共鳴するのです。
中で共鳴している状態で生まれている音の波形のことを定在波と呼びます。管楽器では、この定在波を作って音を出しています。こういった音の実験は高校の物理の定番ですね。

ここでポイントなのは、閉ざされた空間という点。
音がある閉ざされた空間内に入ると、共鳴を起こしやすくなります。ギターやバイオリンが本体内に空洞を持っているのはまさに共鳴を起こすためです。もちろん、音楽ホールも同様の効果があります。
もう少し小さな例ならば、人間の口や鼻の中の空間。単なる声帯の震えが、口の中の空間を経ることで、人の声らしい音色に変わるような共鳴を起こします。

共鳴は空間ばかりではありません。
モノ(固体)も特定の周波数で震えやすくなったりします。この周波数のことを固有振動数と呼びます。そのモノの固有振動数と同じ周波数の音を与えると、そのモノは自分も震え始めます。
これも理科の実験の定番ですが、二つの同じ音叉を用意し、片方を叩くと、もう一つも共鳴して震え始める、というのがありましたよね。

2010年6月10日木曜日

新アプリ"JustIntonation"(純正律)リリース!

Justintonation_2またまたiPhoneアプリのご紹介。
新しいアプリ"JustIntonation"をリリースしました。日本語では「純正律」の意味。このアプリ、先日バージョンアップした古典調律アプリ"Meantone"の音律の中から、平均律と純正律の二つだけを取り上げ、一枚の画面で切り替えて聴けるようにしたものです。つまり"Meantone"の機能限定版。
アイコンは「純」の一文字。ちょっと和風です。

さて、このアプリ内での純正律の計算の仕方について、簡単に説明しておきます。
まず、このアプリの楽譜は調を選択できるので、純正律の音程も、調毎に全て計算し直しています。また、異名同音はなく、すべて異名異音です。例えば、C#とDbの音程は違います。
調毎に音程が違うので、音程の作り方を移動ド的な表現で説明しましょう。
Ji
上の図は、各音程の相関関係を表したものです。
黒い矢印は完全五度、赤い矢印は長三度を示します。ところどころ怪しい階名があります。"Mii"はミの半音上、"Tii"はシの半音上、"Faa"はファの半音下のつもりですのでご了承ください。
これにより、ドからシの7音と、それぞれの半音上と半音下の合計21音の位置が決定されます。この状態で、A=440Hzから主音(Do)の音程を求め、その他の音は黒い方向は周波数を1.5倍に、赤い方向は1.25倍にすれば、周波数が得られます。もちろん矢印の逆の方向は、逆数をかければ良いです。ちなみにピンクの印はその調のドミソの和音の位置を表しています。

このアプリでは、和音を入力して音が鳴った状態で、平均律と純正律の音の聞き比べが可能です。よく言われる純正の音程とはどのようなものなのか、数字や理論は苦手という方でも、音を聴くだけでも理解できます。ご興味がありましたら使ってみてください。
無料です。

2010年6月9日水曜日

いま合唱がやるべきことー実践編

前回の続き、合唱する高齢者を増やそうという話。
このブログを読んでいる人の中には、若者の話ではないこと、芸術を突き詰める話ではないこと、から興味を持てない方もいるかもしれません。
しかし、マニアックな人が道を究めようとすると、世の人がついてこれなくなります。どのようなジャンルであれ、底辺が拡がることがまず重要とも思えるのです。
私の想定する底辺拡大とは、20〜30%増というような小さな話ではないのです。高齢者をターゲットとすれば日本の合唱人口が2倍、3倍にならないか、くらいのイメージです。合唱産業とでも呼べる市場が成り立つ規模のことです。

では、上記の想定に基づいて、いま私たちが何をすべきか(勝手に)考えてみましょう。
<シルバーコーラスフェスティバル開催>
最低年齢が50歳以上の合唱団が参加する合唱祭。もちろん、芸能人などのゲストは欠かせません。
<団運営サポートのサービス>
合唱団は通常、団員がそのままマネージをしますが、何かと人間関係のトラブルも起こりがち。歌い手とマネージは同列でないほうが、逆にきめ細かい運営ができるのではないでしょうか。
<高齢者の指導法の確立>
柔軟な若者と違い、基礎訓練は厳しいでしょう。また指導者があまりに高圧的だと、若者なら従っても、高齢者なら反感を買うかもしれません。個人の能力アップを焦点におくよりも、その場を楽しむこと、知的な満足感を与えることといったことを主体にした指導が良いと思われます。
<専用レパートリーの拡充>
これが難しいのですが・・・、ポピュラー曲だけでなく、有名なクラシック曲をシンプルに編曲するなど、ある程度の文化レベルを保ちつつ、気軽に取り組めるレパートリーが欲しいですね。ルネサンスものでもオルガン伴奏付きで歌うなど、アイデアは考えられます。
<学生合唱団との交流>
高校、大学合唱団のイベントとして、シルバーコーラスと交流の機会があればいいですね。高齢者には刺激になるし、若者にはボランティア的な気持ちも目覚めるかもしれません。
<持ち運びできる伴奏楽器>
重いピアノは何かと不便。軽くて二人で持ち運べる鍵盤伴奏楽器が欲しいです。多分、電子楽器。タッチにこだわらなければ、機能を減らして、こういう用途に適したものが開発できると思うのですが・・・。
<楽譜は大きく読みやすく>
何で世の中、小さくて細かい楽譜が多いんでしょうね。最近私もつらいです。

高齢者の気持ちが分かってない!という批判は甘んじて受けます。何かの議論のきっかけになれば嬉しいです。

2010年6月5日土曜日

いま合唱がやるべきこと

たまにはコアな合唱の話題など。
昔から、どうやったら最高の合唱を作れるのか、それが自分の興味の終着点でした。もちろん、その想いは今でも変わらないつもりですが、やや自分の意識もここ数年で変わってきたように思います。簡単に言えば、世の中をより俯瞰的に見る意識が強くなってきました。今の世の中を語るときに、ビジネス的な側面、経済的な側面は欠かせません。結局、金が流れるところに人材も集まり、変化のダイナミズムが生じるからです。
一方理想的な芸術を追い求めようとするほど、理想が空回りする現実があります。私から見ると、多くのアヴァンギャルドが同様の側面を持っています。大衆的であっても、うまく芸術家の主張を織り込んで、あまねく多くの人に影響を与えることのほうが社会へのインパクトが大きいし、今の芸術はそういったジャンルが牽引しています。

やや話は変わって、GWに帰省した折、一人暮らしの母が公民館で合唱っぽいことをしていると聞いたのです。指導者の方をずいぶん褒めていて、それがまた練習に行きたいというモチベーションとなっているように感じました。
結局のところ、現状、合唱というのは芸術を突き詰める側面よりも、生涯学習であるとか、リタイアした人のコミュニティとしてとか、個々人の平凡な生活に色彩を与えるようなそういった側面のほうが世の中に求められている、と感じ始めています。
それは音楽形態としての合唱の弱点がそのままメリットになっているのです。具体的には、歌い手の独立性のなさであり、演奏技術への敷居の低さ(探求力の弱さ)です。つまり、合唱というのは老齢になって初めて音楽を始めようと思った人を快く受け容れるだけの包容力をもった演奏形態と言えるのです。

このようなことをつらつら考えていると、そもそも合唱のやるべきこととはなんぞや、ということに私の中で何となく変化が生じています。
今後、日本は凄まじいスピードで高齢化が進みます。今の高齢者は、昔の高齢者より確実に孤独です。そこにはなにがしかのコミュニティが必要とされています。合唱を今の世の中に当てはめようとしたとき、貯蓄率の高い高齢者に、このような場を提供していくことこそ、ビジネス的に正しい戦略のような気がするのです。

2010年6月2日水曜日

iPhoneアプリ"Meantone"がバージョンアップ

Meantone_screen11以前お知らせしました、iPhoneアプリ"Meantone"を1.1にバージョンアップしました。
表向きはあまり変わった感じがしませんが、内部は大きく変わりました。これまで単音しか出なかったのですが、和音を出すことが可能になり、楽譜上も音符が和音で表記できるようになりました。
和音を鳴らしたまま音律の切り替えが出来ますので、音律の違いによる和音の響きの違いが体感できるようになりました。
AppStoreで、丁寧にレビューしてくださった方(ありがとうございます!)の言うように、なかなか単音では音律の違いを感じるのは難しいのです。しかし、和音の響きの違いを聴けるようになれば、音律ごとの特徴がより明瞭になってくるはず。これで、この有料アプリがもう少し売れてくれると嬉しいのですが。

さて、作る側から言うと、単音だった発音処理を複数音に変えたり、楽譜で複数音符を表示させるようにするのは大変苦労しました。特に、楽譜でたくさん#やbを付けたときに、臨時記号の位置が思う通りに動かず難儀しました。あんまり触られるとボロが出そうですが、また不具合があればお知らせください。ちなみに、最大発音数は8音に設定してあります。
複数音発音、複数音表示のプログラムが完成し、一応クラス化もしてあるので、アプリの新しいネタも拡がりそうです。楽譜関係で何か面白いアイデアがあれば教えてください。

なお、近いうちに "Meantone" の機能限定版を無料でリリースする予定です。

2010年6月1日火曜日

25.音の回り込み

これも音を知る上で大事なことです。回り込みは、別の言葉で回折とも言われます。
音は基本的にまっすぐ進みますが、音源が影に隠れると全く聞こえなくなるわけではありません。音は、どこかの隙間を通り抜けて、そこからまた四方に拡散します。これは、端から見ると音が空間をカーブして伝わってきているようにも見えます。

この回り込みに関しても、周波数が依存しています。
ざっくり言えば、周波数が高いほど(音が高いほど)、直進性は高まり、回り込みは少なくなります。逆に周波数が低いほど、音は良く回り込むようになります。ですから、音源が影に隠れると、音質が少し曇ったように変わります。人はそれを聞いて、音源が動いたか、自分が動いたかを認識できるわけです。


同じことは電波にも当てはまるのです。
例えば周波数が低いAMラジオの電波は至る所に回り込んでいるので、たいていどの場所にいても聴けます。ところがちょっと周波数が高いFM放送になるとアンテナをたてないと聴けない場合があります。さらに周波数の高いテレビの電波は屋外にアンテナを立てます(最近はケーブルテレビが多くて、そういう感覚も薄れてますが)。
現在の放送で最も周波数が高い衛星放送(BS,CSなど)に至っては、電波を発する人工衛星の方向に向かってパラボラアンテナを設置します。その向きが少しでもずれると電波を上手く受信できません。そのくらいの周波数の高い電波だとまっすぐにしか進めないのです。

だいたい近所迷惑な騒音は低音である場合が多いです。複雑な空間になるほど高音は届きにくくなる一方、低音はどんどん回り込んでなかなか減衰しないからです。