2011年7月13日水曜日

知らせたいことより知りたいことを伝える

「可視化の行く末」で、何もかも公開したらどうだというラジカルな意見を言ってみました。
まあ、そこまで行かないにしても、何をパブリックにしていくか、ということが今後の企業や、集団のあり方を変えていくことでしょう。

例えば、会社の公式な発表は広報を通じて行われます。
新しい商品やサービスも広報が発表します。そこには事実だけが単刀直入に書かれ、背景などもごく一般的なことしか書いてありません。その内容は、企業側がお客さんに知らせたいと思っていることなのですが、多くの人がそんな広報による商品発表を楽しみにして、その文章を一言一言食い入るように読むでしょうか。
実際には、新商品はコマーシャルなどで、面白おかしく宣伝されたり、芸能人がテレビで勧めていたり、有名ブロガーがネットで記事を書いていたり、そういうことによって商品の良さが伝わっていくものです。
しかし、何より一般の人が知りたいのは、その商品やサービスを開発した、生の開発者の声じゃないかなと思うのです。
その商品を企画する時にどんな議論があり、何を重要視したか。そのために何を犠牲にしたか。誰がどんな思いを持って開発したのか・・・そういう裏話的なことこそ、知りたいと思う気持ちはあると思います。

考えるに、情報は一次ソースこそ、最も言葉の威力が強くなるものです。
あるアーティストが最新作を発表したとき、その作品に興味がある人は、その人自身が語った言葉を聞いてみたい。その人が語ったことを、別の人が聞いて書いた記事は、そこで一段勢いを失いますし、伝える人が義務的であればあるほど、内容はどんどんつまらなくなることでしょう。
あるいは、芸能ゴシップみたいに伝えることで商売している人たちは、あることないこと書き立て、かえって本質を伝えることが難しくなってしまうかもしれません。

そう考えると当事者が発信する情報は、企業にとっても、ある意味、最も効果的な宣伝になるかもしれないのです。
もちろん、誰もが外に向かって、きっちりとした言葉で、内容のある発言が出来るわけでは無いでしょう。それでも、ものごとの中心にいた人物の言葉は多少稚拙であったとしても、十分傾聴に値すると思います。
人々が知りたいことを企業側が伝えようとするなら、広報のような組織よりは、組織内の個人が直接発信する方がよほど効果的なのではないでしょうか。

そもそも今まで広報が一括して組織のスポークスマンになっていたのは、むしろ効率を考えてのこと。
インターネットが広まった今となっては、もっと効率の良い広報の仕方があるような気がします。
組織内の個人が直接発信するようになれば、発信する個人の発信力が問われるようになります。こういった事態は組織に全く新しい価値観を要求することになるでしょう。
社内政治に長けた人物より、広く世の中に影響を与えることが出来る人のほうが、端的に会社に貢献することが出来るようになるわけですから。
ソーシャルメディアにより、世の中がどんどん変わっていくことが本当に楽しみなのです。

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