2006年7月25日火曜日

日本沈没

もう、ストーリーとかぜんぜん覚えてないんだけど、確か小学校二年くらいのときに、連続ドラマで「日本沈没」を放映していて、それが大好きで、毎週見ていたような記憶があります。当時の私にとって、日曜日の夜は「日本沈没」→「風と雲と虹と」が黄金パターンでした。(←と思ったけど、どうも放映した年が違うみたい。あれ?)
そんなわけで、なんだか懐かしくて映画、見に行きました、「日本沈没」。
いや、悪くないですよ、全体的には。人物造形とか、セリフとかがもう少し練れていればリアリティが増した気がしますが、恐らくこの映画では主人公の恋愛はそれほど重要ではないので、まあどうでもいいです。

やはり、この映画の見どころは、日本が大災害に見舞われ、どんどん沈没していく、その描写そのものにあると言っていいのではないでしょうか。ハリウッドのディザスタームービーとは比べ物にならない痛々しさがそこにはあります。そして、なぜかこの映画を見終わったあと、たまらなく日本という国がいとおしく感じられるのです。(そんな殊勝な気持ちになったのは私だけ?)
でも、日本という土地が無くなって、日本人が世界各地に散らばったら、日本という国はいったいどうなるのでしょう。もしかしたら、世界中を漂流する民族として、かえって日本人としての自覚が高まるかもしれません。そう、まるでイスラエルの民のように・・・
まあ、そこまでこの映画を見て考える必要はありませんが、そんな感じで想像を逞しくさせるような面白い題材であるのは確かです。
それから、ラストもわりと泣けますよ。

2006年7月23日日曜日

回想ってほどでもない話

承前。
「限りないもの、それは欲望~」と歌ったのは井上陽水。
賞をとる前は、取ることが最大の目標であったわけですが、取った後は、作曲家としてもっともっと活躍したいと思うもの。
朝日作曲賞は一度取ってしまうと、もう次回からは応募できません。それに、一度だけ賞を取っても、課題曲として歌われた後、その後も活躍している方というのは実は非常に少ないように思います。現実的には、朝日作曲賞を一度取っただけで、その後作曲家として活躍できるというのは大きな幻想です。これは、作曲家としての力の問題だけではなく、合唱指揮者や合唱界のマインドみたいなものの一つの表れなんだとも感じます。(要するに、十分な経歴が無いとなかなか作曲家として認めてくれない)
幸い、私が「だるまさん」で受賞した後、朝日作曲賞は組曲応募に変わり、二回取れない規定も以前の受賞者には適用されなくなりました。それに加えて、これまでの4分以内という規定から、20分以内の組曲になって、より総合的な力を評価してもらえる、ということも新しい朝日作曲賞の大きな魅力。そんなわけで、組曲応募になってから数回は見合わせたものの(「上野の森コーラスパークの作曲コンクール」に出したりしたので)、またまた朝日作曲賞を狙ってみようとチャレンジ開始したのでした。

2006年7月20日木曜日

回想っぽい話

何だかんだ言って、結局私の作曲活動は、朝日作曲賞(合唱連盟の課題曲公募)と共に歩んできたような気がします。
そもそも最初に課題曲公募に応募したのが私が大学生の頃。80年代後半だから、まだ朝日作曲賞と呼ばれてなかったころです。今思えば、送ったものは全くド恥ずかしい代物なんですが、せっかく作ったんだから送ってやれ、というような気分だったのでしょう。
気合を入れて応募し始めたのが、90年代中頃くらいからでしょうか。それから数年は、もちろん箸にも棒にもかからずというような状態が続きました。
「だるまさんがころんだ」はもともと神奈川の作曲コンクールあたりを狙って書いたものですが、神奈川のコンクールも20回で中止になり、行く先を失っていました。
「だるまさん」は全体で1曲のつもりだったのだけど、冒頭部は自分でもそこそこ書けていた感じがしたんで、変則的だけど、最初の部分を切り売りして朝日作曲賞に応募することに。曲も長いし6声ということもあって、課題曲としては難しくてちょっと無理かな、と思っていたら・・・まさかの受賞。このときは本当に驚きました。でも、本当に嬉しかった。

朝日作曲賞のおかげで、いろいろな方に名前を覚えていただけたと思います。出版も出来たし、CDも出すことが出来ました。
有名な指揮者の先生がたでさえ、私を作曲家扱いで応対していただいたりして、本当に恐縮しました。そして、こうやってだんだんと自分の作品が歌われていったら嬉しいなあ、と漠然と思っていたのです・・・

2006年7月14日金曜日

悲願の受賞!

先ほど合唱連盟から電話がありまして、今年度の朝日作曲賞を受賞した旨、連絡がありました。
組曲応募になって、また受賞できて本当に嬉しいです!
ここ2年、譜面審査を通過しながら、賞無し、佳作、と来たんで、今度こそとは思っていましたが、世の中そう簡単にはいかないよな・・・という冷めた気持ちも感じつつ、微妙な心持ちの日々でした。結果的には、1ステップずつ上がっていった格好になって、自分の努力の賜物なのか、はたまた運命の巡り合わせなのか計りかねているところです。
何はともあれ、嬉しい!!。「だるまさん」のときも、この賞をきっかけに自分の活動の幅が広がったので、今回もまた大きく期待しています。
まだまだ実感が沸きませんが、まずは第一報ということでお知らせいたします。細かいことはまた後日。

2006年7月8日土曜日

私のデジタルライフ

新聞などによると、すでにかなりの人がインターネットで商品の情報を検索したり、実際に購入していたりしているそうです。しかし、自分の周りの人に聞いてみると案外、インターネットの使い具合も人それぞれで、まばらな感じな気がします。
私など、本、CD、DVDなどはもうほとんどアマゾンで買っています。最近は、ちょっとした電気製品(PC周辺機器、AV機器など)もほとんどネットで購入。特に現物を確認する必要の無い場合は、大物でもネットを使ってしまったりします。しかし、周りでは同様にネットで買う人ってそんなに多くないみたいで、Webページにクレジットカード番号を書いたりするのに抵抗感があるようですね。

では、逆に世の中で流行っていて、自分がまだやってないものって何かというと…
一つは、iPodなどの携帯音楽プレーヤ。最近は本当に多くの人が音楽を聞きながら外を歩くようになりました。私も以前よりウォークマンは持っていたんですが、常日頃持ち歩き音楽を聴く、という習慣には至っていませんでした。確かに、iPodのようにとんでもない数の音楽が入れられるというのは、昔のウォークマン時代とはまた別の感覚なのかもしれませんが、まだまだ、私の中では飛びつくほどのモノになっていません。
同様に、iTMSなどの有料音楽配信サービスもまだ使ったこと無し。CDはアマゾンで買うものの、まだ曲のデータだけ買うという形はやったことありません。ただ、とりあえず1曲だけ欲しい場合とか便利だし、なかなか手に入りそうにない音源だとかが買えるようになると、いずれ使ってみるかもしれませんね。
あとやってないものを箇条書きにしてみると
・ネットオークション:まだまだモノは新品で買いたいという感覚が強いです。
・SNS:プレーヤーズ王国はやっているものの、あんまりそういうコミュニティ内の付き合いって積極的になれなさそう。
・動画配信:GyaOとか有名みたいですが・・・まだリサーチ不足で、何が楽しいかわかってません。

2006年7月1日土曜日

Requiem/Karl Jenkins

Kjrequiemアディエマスで有名なあのカール・ジェンキンスがレクイエムと題したアルバムを出しました。ちなみに前作の話題はここ
アディエマスを聴いていれば分かりますが、このジェンキンス氏は声楽の世界にもいろいろ通じているようです。そんな彼がレクイエムと題したアルバムを出すのも、私には意外には感じませんでした。基本的な楽曲構成はモーツァルトのレクイエムに近い感じ(「インパラディスム」があるけど)。しかし、もちろん中身は純粋なクラシックでは無く、いくつかの面白い仕掛けがあります。

興味深いのは、中に3曲ほど、日本の俳句をテキストとした曲が入っていること。曲自体は、これぞヒーリング、と言わんばかりの内容…スローテンポ、オスティナート音形の繰り返し、それに尺八っぽい音色などなど。
正直言うと、これらの俳句の曲はちょっとばかり首を傾げたくなります。あからさまに日本的なイメージを強調しているにもかかわらず、MIDI打ち込みっぽい尺八の音、ピッチ補正をバリバリにかけたようなコーラスの声(あまりに不自然に均整が取れている)、まるでわざと機械っぽく作っている感じさえしてしまいます・・・でも、まさかそんな深い意味は無いとは思いますが。
全体的には、オーケストラ&合唱サウンドながら、ビートが利いていて、一般ウケしそうな音楽作りなのだけど、いささか安易な部分も見受けられるような気がしました。それでも、ラクリモサの叙情性とか、なかなかイケてる曲もあります。ある意味、カール・ジェンキンスは、クラシックをポピュラーっぽく聴かせる術(ポピュラーをクラシックっぽく?)をよく知っている音楽家なのかもしれません。