2008年10月31日金曜日

椎名林檎「茜さす帰路照らされど」とサザン「EMANON」が・・・

ふと気づいた驚きの事実。
椎名林檎の「茜さす帰路照らされど」とサザンオールスターズの「EMANON」ってなぜかスゴい似ている気がしたのです。
まずはYouTubeで聴いてみてください。

茜さす帰路照らされど
EMANON

メロディラインは違うのですが、テンポ感や16beatっぽいリズムも近い。全体に漂うテンションコード感や、曲の起伏なんかも似ています。ちょっと気になって軽く鍵盤を叩いてみると・・・なんと両方ともコード進行が全く同じ!
コードネームで書いてみると
Ⅵm9 : Ⅵm9 : Ⅴm9 : Ⅴm9 :
Ⅵm9 : Ⅵm9 : Ⅴm9 : Ⅱm7/Ⅴ :
ⅠM7 : Ⅴm7/Ⅰ,Ⅰ7 : ⅣM7 : Ⅲm7,Ⅰ7 :
ⅣM7 : Ⅲm7,Ⅰ7 : ⅣM7 : Ⅲ7 : Ⅵm9 〜
だいたいこんな感じでしょうか。
偶然同じになったというには、あまりにスゴすぎる偶然。ちょっぴり何らかの意図を感じたりします。もっとも、仮に(椎名林檎が)コード進行を拝借して曲を作ったとしても、道義的には何の問題も無いとは思っていますが。

サザンオールスターズの「EMANON」という曲、もう20年以上前の曲ですが、個人的には結構記憶に残っています。
当時、サザンは絶頂期で、出す曲全てが大ヒット。シングルを出すたびに「ザ・ベストテン」の番組でランクインし、テレビで歌っていたものです。
ところが、この「EMANON」という曲だけ、なぜか結局ベストテン内に入らずじまい。個人的にはちょっと幻想的で好きな曲だったのに、とても残念な気持ちを感じた記憶があります。
でも今なら林檎の方が好きかなあ。

2008年10月23日木曜日

PD合唱曲に昔の作品を追加

たまたま、以前に作曲したピアノ伴奏付きの作品を見直す機会があり、これらをPD合唱曲シリーズとして公開することにしました。
曲は「オリジナル作品一覧」にある立原道造の詩の「虹の輪」「初夏」「朝に」の三作品。「虹の輪」「初夏」は女声で、「朝に」は混声です。

いずれもピアノ伴奏付きの曲で、作曲自体はもう10年以上も前のこと。
自分のスタイルを模索していた時期と言えるかもしれません。これらの曲の作曲にあたっては、若干音は凝りつつも、どちらかというとオーソドックスなテーストを持った、一般的合唱団のトレンドに合ったものをイメージしていたように思います。
楽譜も今では紙でしか残っていなかったので、これを機会に浄書し直し電子化。「朝に」は、音も若干手直しを入れました。MIDIも作ったので、楽譜と合わせて聴いてみてください。

楽譜を入力しながらあらためて立原道造の詩の魅力を感じていました。
やわらかな風景描写と、その中で仄かに語られる一人称の心情。どんなに華やかな言葉を使っても、その中には常に寂寥感が宿っていて、感傷的な気分にさせられます。自然を愛し、儚さを好む日本人の集合的無意識をとめどなく刺激してくれるのです。

2008年10月17日金曜日

iPhoneの使い道

iPhone購入から早三ヶ月。
電話が繋がりにくいという噂はありますが、あまり電話として使っていない私は(ほとんどかかってこないし)あまり不便に感じてはいません。
実は、毎日のように使っているのは、英会話のPodcastを聴くこと。通勤時に歩きながら英語を聴いています。こういう教材がタダで聞けるってスゴいなあ、と今更ながらシロウトのように感心しています。

メールはNiftyのメールを転送するように設定したので、いつでもどこでも自分宛のメールを見れるようになりました。ただし、iPhoneからはメールは出しませんが。(さすがに日本語入力は面倒なので)
後は、スケジュール帳を使ってます。これは完全にPalmの代用となってます。

アプリでよく使うのはウィズダム英和辞典。これはなかなか便利。見た感じも辞書そのもので、とても使い易い。
音楽系では、テノリオンのパクリの「PaklSound1」が割と面白くて、時々触ります。適当に触っていると面白いフレーズが作れたりして、こうやって無機的なメロディを作り出すのも気分転換になります。
密かに気に入っているのが、星座を見るソフト。その名も「Starmap」。バージョンアップして動作が非常に軽快になり、急に触るのが楽しくなりました。私にとって、ちょっとした癒し系のソフトです。
��癒し系と言えば、ただ鯉が泳いでいるだけの「Koi Pond」もなかなか凝っていて面白い)

2008年10月11日土曜日

朝日作曲賞の選評を読んで

ハーモニー秋号の新実氏の朝日作曲賞選評は、なかなか興味深い記事でした。
曰く応募者は「日本の合唱曲を聴き過ぎている」とのこと。
新実氏はその現状を打破するために、「管弦楽曲や室内楽曲を研究してほしい」旨書いてありますが、私は若干思うことが異なります。
私の思うに、むしろ応募者は合唱の現場にあまりいない方が多く、応募のためにいくつかの流行りの合唱曲を研究した結果、このような曲を作っているのではないでしょうか。まあ、聞き過ぎている、という意味ではその通りかもしれませんが。
現場にいない人にとって、好きに書いてあまりに空気の読めない曲を作る方が怖いはず。受賞を目指すならなおさらのこと。いつもは管弦楽曲や室内楽曲などでバリバリの現代音楽を作っていたって、合唱になると甘いハーモニーを書かなきゃと思ってしまうのかもしれません。
むしろ現場にどっぷり浸かりながらも、現状に疑問を持っている人の方が思い切ったことが出来ると思うのは、手前味噌な意見でしょうか。(拙作が今ひとつ広く歌われないのは思い切り過ぎているのかも、とも感じるけど、それは買い被り過ぎか)

正直、演奏審査曲が軒並みピアノ伴奏付きなのと、詩の選び方、題名の付け方、だけを見ただけでも、何となく曲の雰囲気が想像できる感じ。
私のようなあまのじゃくは、谷川俊太郎の詩がいかに素晴らしくても、みんなが使い過ぎているという理由だけで採りあげるのに萎えてしまいます。アカペラ中心っていうのも、実はそういう理由なのかも。
��でもピアノ伴奏付きの曲も書いているんですよ)

2008年10月10日金曜日

では、ピアノ伴奏の面白さとは?

「アカペラの面白さとは」を続けて書いたのだから、ピアノ伴奏付きの合唱曲についても論じる必要があるでしょう。
しかし、日本ではあまりにピアノ伴奏を付けることが当たり前になり過ぎました。合唱曲と言えば、普通、ピアノ伴奏は付くもの、という意識は多くの人にあると思います。だからこそ、アカペラの面白さをもっと知ってほしいと思う反面、それと逆のベクトルを持ったピアノ伴奏付き合唱曲についても模索してみたくなります。

昔はそれほど疑問を持たなかったけれど、最近になって特に感じること。
ピアノ伴奏付き合唱曲を聞いても、その曲が何を表現しようとしているのかあまり伝わってこない。もっと端的に言えばどんな言葉を歌っているのか、その内容が聞こえてこないことが多いです。
恐らく自分が歌う立場で聞いていると、あまりそんなことを感じないのかもしれません。しかし、純粋なリスナーとなって音楽を鑑賞しようと思うと、邦人ピアノ伴奏付き合唱曲は、たいていの場合、音像の派手さを感じても、なぜそれほどの派手さを必要とするのかが今ひとつわかりません。

その理由について一つ言わせてもらうなら、詩も曲も複雑すぎるのではないでしょうか。
複雑とは、芸術的価値とか、高尚であるとか、内容に深みがあるとかそういうこととは無縁の感覚なのです。あくまで単位時間内で人々が許容できる情報量を超えているのでは、という危惧です。それでもこういう曲が好まれるのは、合唱している多くの人が、心のどこかで複雑さを芸術的価値と結びつけたがる性向があるのではないかと感じたりするのです。
私は、音楽はもっと直感的で理解し易くあるべきだと思っています。もちろんそれは芸術的価値が低いということではありません。(いや、むしろ価値が高くなる要素ではないでしょうか)
仮に複雑な曲を作ったとしても、その複雑さ自体が伝えたいことなら構わないのですが、複雑さの陰で本当に伝えたかった言葉、動機が埋もれてしまっていては本末転倒です。
本来、ピアノが伴奏に付くことにより音像全体がダイナミックになるのですから、メッセージをより強く伝えることに使うべきです。単に音符数が増えて、音の数が増えてしまった中にメッセージが埋まってしまわないような曲がもっと書かれるべきではないかと思います。

2008年10月4日土曜日

テンペスト/池上永一

Temp久しぶりに寝る間も惜しんで読みたいほどの面白い本。
上下二巻、計900ページの長編で、本も分厚く、購入直後はちょっとひるみましたが、読み始めるとほんとに止まらない。まさに帯に書いてあるとおりの「ノンストップ人生劇場」「ジェットコースター王朝絵巻」を堪能しました。

琉球王朝の最後の時代(明治維新前後)の王宮が舞台。女子禁制の政治の場に宦官と偽り、入り込んだ女性、真鶴の生涯が描かれます。
何がすごいって、次から次へと起こる事件や出来事の数々。これだけの長編小説であるにも関わらず、すごいテンポで事が進みます。いくら王宮という陰謀や嫉妬渦巻く場所とはいえ、これだけのことを本当に一人の人間が体験するのは不可能といえるくらい。これらの事件にドキドキハラハラしながら、ページをめくる指が止まりません。

話の設定だけ聞くと重厚なストーリーを想像するかもしれませんが、文体は非常に軽く、表現方法も今風。どちらかというとアニメ的なキャラ萌え小説と言えるかも。
この小説の特設ページがあるのですが、これを見ると、この小説の雰囲気がわかってもらえるかと思います。
何しろ面白い。史実をベースにしながらも、自由なファンタジーとして読むことができます。あるいは、大人の童話とでも言いましょうか。
大人の童話というからにはエロも手加減の無い残酷さもありますが、それ以上に知識欲を刺激させてくれる小説でもあります。沖縄という場所がこのような微妙な歴史を持っていた、というのはこの本を読んで始めて知りました。

ラストはそれほど大仰ではなかったけれど、なんだかとても泣けたのでした。