2005年3月29日火曜日

多重録音しよう その1

その1と書いといて、後が続くかはともかく・・・ちょっと書き始めたネタなので、もう少し詳しく書いてみます。
まずは必要なものから。
最初にパソコン。なるべく速いヤツ。同時に数トラックの波形をリアルタイム演算するので、クロックは高いのが望ましいでしょう。
それからPC用のオーディオIF。ヤマハならUW500というのがありますが、まあそんな感じのものはいろいろなメーカーから出ています。もちろん、マイク入力付きが良いでしょう。
当然、マイクも必要。マイクはもちろん性能がいいほうが良いに決まっているけど、2万円も出せばそこそこのものは手に入ると思います。
そして、最後に多重録音のソフト。最近はDAW(Digital Audio Workstation)などと呼ばれています。私は、現在スタインバーグ社の Cubase SX3 を使用しています。
とりあえず、これだけあれば始められますが、このほかに MIDI音源、DTM用のミキサーなどがあると便利ですね。

2005年3月27日日曜日

多重録音

何度もやりかけて、なかなか進まないのが、この多重録音活動。
やりたい音楽は、ジャズ・アカペラから、ルネサンスまで、歌ならもう何でもありのつもり。実は、何回かトライして、何曲か作ったりしたのだけど、人様に公表するに耐えるべきものではありません。
ただ、この活動、個人的にはいろいろな魅力があると思っています。私が合唱で不満に感じる事は個人レベルのソルフェージュ力の弱さであり、それを何となく良しにしてしまう体質です。こういう能力は、1パート一人で歌う場合にはかなり重要になりますし、ましてや録音となるとゴマカシがききません。他の音楽ジャンルに比べると、合唱が「歌」であるが故に、アンサンブルよりも情感を重要視してしまう傾向があるように思うのです。まあ、多重録音したからといって何がどう変わるわけではないのだけど、自分でいろいろ歌って録音すれば気付くことも多いのではないかという気はしています。
ただし、一発取りではないので、テンポの揺れに対しては制限がかかります。どうしてもガイド音頼りだけでは、バラバラに取った各パートのテンポを揃えるのは難しいのです。だから、扱おうとする音楽も結局、ポピュラー・ジャズ系か、逆にルネサンス・バロック系になってしまいます。普通のクラシックな合唱曲をやる場合、多重録音と割り切って、合唱っぽくしないようなアプローチも必要かもしれません。
逆に、最近は、個人で簡単に録音して編集する環境が充実してきて、例えば録音後に、いろいろなエフェクトをかけたり、時間軸方向でずらしたり、はたまたピッチを修正してしまったり、なんてことが可能になっています。もちろん、うまく歌った方が制作にはよほど効率的ではあるけれど、録音技術を楽しむという側面もこの活動にはあるわけです。

2005年3月21日月曜日

こんなCD買ってみた

minyo何のため…という明確な目的もないんですが、「決定版・ふるさとの民謡」なんていうCDを5つも買ってみました。全10巻シリーズなんですが、そのうちの5つです。残りも買うかは未定。
割りと有名どころも入っているし、正直言って観賞用というよりは資料用であるのは確か。何か面白い編曲できないかなあなんてちょっと考えています。
民謡だからといって日本的な音とか、日本の叙情みたいなものを表現してみたいというのとは、ちょっと違う感覚です。だいたい、いまの時代、民謡を聞いて、「やっぱ民謡っていいよね~」なんてセリフは私には言えません。むしろ、私にとっては民謡は一種のエキゾチズムを感じさせ、それこそが面白いと思う要素であったりするわけです。面白い音素材の一つと言ってもいいかもしれません。
それにしても、このシリーズ、東北地方は各県毎にCD出ているのに、その他は関東とか四国とか九州になっちゃうんですよね。東北というのは民謡の宝庫なんでしょうか?(それともCDの企画者が東北地方だけ頑張って、その後、気合が抜けたのか)

2005年3月14日月曜日

ローレライ

架空戦記っていうんでしょうか。でも、ローレライシステムというのが超能力だったという設定は、なかなか面白いなと感じました。太平洋戦争をそのまま描けばどうしてもシリアスになっちゃうし、戦闘シーンを楽しませようと思うなら、こういったSFチックにしてしまうほうが、エンターテインメントとしては王道かも。
だいたい、テレビや映画で太平洋戦争を扱うというのは大変難しいと思います。私ならそういう題材を自ら扱おうという気にはならないでしょう。近い出来事ゆえに、一つの事象を見ても様々な見方があり、どのような見つめ方をしても全体像を捉えることが出来ないからです。もちろん、実際にこういう題材を扱う場合には、ある見方に固定するしかないのですが、それがときに危うく映ります。
例えば、主人公の艦長は特攻を嫌っています。生きることの必要性を何度も説きます。もちろん、今の我々から見ればそれはすごくまっとうなことだけど、あの時代にあのような言動が可能でしょうか。本当は心の奥底でみんなそう思っている、というのも私は嘘だと思います。そのくらい社会状況による常識の違いは大きいと思います。映画だから許されるとは思うけど、私としては少し気になってしまうんです。
だから、いっそのこと、私などもっと架空度を高めた方がいいんじゃないかと思います。もっとSF度を高めたりするとか、そういう形で。でも、それはそれで批判を受けそうですが。
とても濃いキャスティングでしたが、物語がもう少し濃くても良かったような気が。この基本ストーリーならもっとハラハラ、ウルウル作れそうな気がするんですけど。

2005年3月6日日曜日

となり町戦争/三崎亜記

tonari評判の話題作、読んでみました。確かに、これは面白い!シュールだけどリアル。この作家は、どの辺りをシュールにして、そしてどのあたりをリアルにするか、そのさじ加減の按配さで、批評性が高く、かつ抽象度の高い物語構築をしていくのが実にうまいです。
例えば、シュールさというのは物語の基本設定である戦争が、町という自治体組織の重要な事業の一つになっていること(小説中、「戦争事業」と表現される)。さながら、地方活性化のために公共事業を推進する行動原理のよう。そして、戦争でありながら、具体的な戦争描写(戦闘の様子、人が死ぬ様子)が一切ないこと。ただし、戦争描写が一切ないことによって、逆説的に身近な人が戦死していく事実だけが心に重く響きます。
リアルさというのは役所仕事の杓子定規さ、特にこの点、作者がどこまでも丹念に描きたかったことの一つでしょう。その証拠に任命書やら申請書やら記録書といった役所書類の数々が小説の中に度々挿入されています。この辺り、安部公房みたい。戦争であっても議会の手続きやら何やらの承認が逐一必要だったり、偵察業務に性欲処理の業務などがあるのもかなりのブラックさ。
もっとも作者の描く世界は、シニカルな現状批判にそれほど近づかず、後半に行くにつれ、もっとリリカルで淡い哀しさを表現しようとします。最後のオチで、初めて戦争のリアルさを主人公が感じるあたり秀逸。ちょっと泣けます。アイデア勝利ではあるけれど、そのアイデアを実現する手腕にも驚かされた小説でした。

2005年3月4日金曜日

歌の習熟と脳回路

合唱団で新曲を練習しているときに、例えばほとんど同じフレーズだけどちょっとだけ違う、というようなフレーズが別の箇所にあったとします。その曲を初めて歌う人は、その箇所でつい前に歌ったように歌ってしまい、ちょっとだけ違う部分に思わず引っ掛かってしまうことが良くあります。その度に、なんでこっちとあっちで音が違ってるんだよーと思わず突っ込みを入れたくなります。
その他にも、例えば1番、2番があるような有節歌曲的な曲の場合、2番のときに間違って1番の歌詞を歌ってしまったり、逆に歌ってしまったりすることもしばしば。これも直前に歌ったフレーズを歌詞ごと覚えていて、何も考えないで歌うと、それがそのまま口に出てしまうのでしょう。
こういった例を考えると、どうも人間には、直前にしたことを丸々覚えておいて、同じようなことがあった場合、何も考えないと直前にしたように動いてしまうような仕組みがあるような気がするのです。
もう一つ、歌とは関係ない例ですが、早口言葉で「あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみ」なんてのがありますが、これ最後の「きまきがみ」というのが鬼門で、思わず「きまきまみ」とかなっちゃうんですね。ほんとに直前に言った「きま」という記憶が、速くしゃべらないといけないという意識の中で、脳髄反射的に出てしまうのではないかと思えます。
こういった脳内の回路は、コンピュータの心臓部、CPUのキャッシュ機能を思い起こさせます。キャッシュ機能とは、CPU内にある高速RAMに直前に実行したプログラムを取っておいて、取っておいたプログラムと同じプログラムを実行することがわかると、外部メモリにアクセスせずに、内部の速いキャッシュメモリからプログラムを読み込むという仕組み。最初から最後まで全て処理内容が違うプログラムというものはほとんどなく、実際には同じ処理が何度も何度も繰り返されるということがほとんどなため、キャッシュメモリがあるとCPU自体が速くなくても、処理全体が非常に速くなるというわけです。
ということは、人間の脳の中にもキャッシュ機能があって、直前に行った行動が常に取っておかれてあるということはないでしょうか。そして、前と似た行動を取る場合、わざわざ意識的に考えなくても、直前にやった行動をキャッシュから引き出し、無意識に再生するようになっているのかもしれません。
本当のところはもちろん全く分かりませんが、脳科学者にこのアイデアの是非を聞いてみたいですね。