2007年9月30日日曜日

進化しすぎた脳/池谷裕二

脳科学の最前線について、中高生に講義した内容をそのまま収録した、というのがこの本の記述方法。
内容は正直言って、かなり深いです。それが、講義という形式のため、しゃべり口調になっていて柔らかいので、何となく頭に入ってきやすい。それに、話もときどき脱線していて、あたかもその場で講義を聞いていたような気分になったのが面白かった。そういった本の構成のうまさが良い方向に作用したように思います。
講義を受けていた中高生がやけに理解力が高いのは、講義をした学校のせいなのかはわかりませんが・・・

いくつか興味深いポイントはあるのだけど、身体が脳のあり方を規定している、という考え方は、重要な点だと思います。確かに脳が身体の動きを制御しているのだけど、それは逆に言えば、身体からの刺激が脳を働かせているとも言え、脳はそれに見合うように成長していくわけです。
ここで池谷氏が示唆している話が面白い。神経細胞をコンピュータでシミュレーションすれば人工知能のようなものは出来るかもしれない。しかし、人間と同じ身体を持たないコンピュータ上に作った意識は、人間には理解できないような意識が出来てしまうかもしれない、といった内容。
私たちは、自分たちが頭の中で考えている内容を、自由意思などといって、全て自分の意識で制御可能だと思っているわけです。ところが、そういった判断の一つ一つが実は生物としての基本欲求から来ていたり、脳内のあるランダムな要素で説明できる可能性があるのです。
そういう意味では、自由であると思っている「思考」までも、人間という枠組みから逃れることは出来ないのだと思います。

科学者論とか、研究論にまで話は脱線したりして、理系人間にはかなり楽しめる本です。科学は宗教かもしれない、というのは私も大いに同意。著者の学問に対する姿勢、研究ジャンルを超えた探究心には強く共感します。

2007年9月28日金曜日

東京事変「娯楽」のメロディ

Variety東京事変のニューアルバム「娯楽」を購入。今回のアルバムの大きな話題は、椎名林檎が一曲も作曲せず、全ての曲を他のメンバーが作ったという点。「林檎の」バンドだった東京事変から敢えて林檎色を薄めるという挑戦は、ある意味、非常にコンセプチュアルであると言えます。

ファンなら色々と賛否両論あるでしょうが、それはひとまず置いといて、この「娯楽」をネタに、各メンバーのメロディの特徴など考えてみます。
まずベースの亀田氏のメロディは、J-POPの王道的メロディ。なんとも卒がなく、良く出来ている。J-POP界で多くのアーティストと仕事をしている彼のメロディは、逆に言うと歌手を選ばない一般性があります。
次にギターの浮雲氏。この人のメロディはシブい。敢えてメロディが甘くなるのを避けている感じがします。そのため、メロディが鋭角で、同フレーズの繰り返しも多い。耳に残りやすいのですが、一般性は逆に低い感じ。
最後にキーボードの伊澤氏ですが、割とJ-POP的な要素を持ちながらも、ちょっとクセがあります。同じく繰り返し型のメロディが多く、サビで音域が高くなる。また、メロディの終止があっさり気味。キーボーディストにしては、ひねりが少ない人だなという印象。

以前、椎名林檎の書くメロディについて論じました。東京事変から、こういった特徴を持つ林檎のメロディが無くなったことで、かなりバンドの雰囲気は変わったと思います。

それにしても、メロディには、かなり作り手の個性が出るものです。
気が付いたらそうなっていた、ということもあるし、頭に浮かんでも自分が書くメロディとして絶対許せないというものもあるでしょう。あるいは、積極的に人工的に音の配列を考えることだってあります。
そういうことの総体が、メロディの書き手の個性に繋がっていくわけです。

2007年9月25日火曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版

アニメオタクとは程遠いつもりの私ですが、なぜかエヴァは気になるので、見に行ってきてしまいました。しかし、あのエヴァブームからはや10年。中身はすっかり忘れ去っていました。
そういう意味では、また新しい気持ちで見たことになったわけですが、いややはりなかなか面白いです。ロボットアニメのフォーマットを借りながら、子供向けアニメとは全く次元の違う世界が展開されていきます。

私の感じるところの、エヴァの面白さをいくつか挙げてみましょう。
・聖書や精神医学などの言葉を多用した衒学趣味。結局のところ、よほどのマニアでないと言葉の意味が全部わからないハズ。原作者さえ論理的整合が困難になるほど、いろいろな要素が詰め込まれ、しかもほとんど作中で詳細な説明がされない。
・ロボットアニメなのに、すごく生物的でグロい。使徒も気持ち悪い死に方をする。ロボットだから強い、という方法論を捨て、生き物的だからしぶとく、そして制御が難しい、という新たな価値観を提示している。
・内省的で引きこもりがちなナイーブな少年、少女の気持ちの表現がリアル。典型的なアニメ的セリフの中に、ポロリと非常に純文学を思わせるセリフが点在する。
・いわゆる今までのロボットアニメにはあり得なかったような、少年視線でのエロチシズム表現が多い。

そんなわけで、続編も楽しみにしてます。

2007年9月24日月曜日

工業製品の芸術性 意味にはまる

工業製品にも芸術性という尺度はあり得ます。ということは、それを設計、製造するメーカーにも芸術性が求められるわけです。
だからこそ、そもそも芸術性とは何なのか、その本質的な部分を考えてみたいのです。恐らく、芸術性を感じられる製品と、そうでない製品には、何らかの差があるはずだし、まさにその差に注目することが芸術性とは何かを考えるきっかけになるでしょう。

芸術性なのだから、色使いとか、造形とか、コンセプトとか、メッセージとか、そういうものがうまく調和して表現されている、というのがやはり必要なことです。言ってみれば、それらは芸術性が外面として現れる要素です。
何をもって、これらの組み合わせにセンスを感じるか、それはもう私には理論的に解明のしようが無いと感じます。それらは結局、一言、センスがある、ない、といったレベルの議論に収束してしまうからです。
しかし、そういったセンスのある外面性を出すために必要な条件というのなら、いくつか思いつきます。

例えば、コンセプトとか言うと、芸術性にちょっと疎い人は、どうも大層なお題目を言ったりとか、言葉の「意味」にがんじがらめになってしまう傾向があるように思います。意味を考え始めると、健全かつ建前的な方向にどんどん向かっていくことが往々にしてあります。そして、本来芸術が人の心を揺さぶるために持つはずの一種の毒が、そこでますます失われていくのです。

一つの例として、まずある新製品を出す際のコンセプトを考えてみることにしましょう。
こんな意見が出たらどうでしょう、例えば「平和」。もちろん、平和であることは素晴らしいことだし、戦争を続けている地域に対する憂慮も表現できるかもしれない。非常にポジティブかつ社会的に健全な主張です。しかし、題目が抽象的で製品の外面にどのように反映させるかは、大変難しそうです。
ではもう一つの意見として、「クラゲ」はどう思います? いや、単に今、私が思いついただけなんですが・・・。なぜ、クラゲなのか?後付けでなんらかの意味を付与することは可能ですが、究極的にはそこに意味はありません。ただ、ナンセンスでシュールな取り合わせが、人々の心を惹きつける可能性を上げるかもしれません。
もしかして、芸術性というのはこんなことの積み重ねかなと思えます。だからこそ、意味を議論するような会議の場で、芸術性を作り出すことはほとんど不可能のように思えるわけです。

2007年9月21日金曜日

工業製品の芸術性

iPodが売れているのは、スティーブ・ジョブス個人の芸術的センスによるものが大きいのでは、と前に書きました。
最近では、携帯で au デザインプロジェクトなんてのもあって、デザイナーの名前が結構前面に出されたりもしています。そういう例などを見ると、工業デザイナーみたいな人たちが、個人の名前で活躍できるような土壌が生まれつつあるような気がします。

何か電気製品を、例えば掃除機を買いにいったとき、掃除機とは思えないようなとても奇抜なデザインで、聞いたことがあるような名のデザイナーが「私がデザインしました」なんて、宣伝文句が書いてあったりすると、やはり私なんか気に留めるような気がします。もちろん、そのデザインがただ奇抜なだけじゃなくて洗練されていて、センスのいいものだったりするなら、もしかして買ってしまうかも。
もちろん、まだまだ性能重視で買うかどうか決める人もいるし、逆にデザインを強調したようなものを嫌う人もいるでしょう。
それでも、確実に私たちの身の回りのものに、デザイン的な価値観や、そのモノの存在感のようなものを求めている比率は高まっていると思います。

だからこそ、それを選ぶ我々の芸術的審美眼、センスも試されます。
そしてもちろんのこと、そういう製品を作り出すメーカーのセンスも問われます。
では、そのような芸術的センスを持った製品を作り出すには、どのようにしたらいいと皆さんは考えるでしょうか。
敢えて反感をもたれる表現をするなら、会議や議論の中でモノゴトを決めようとすればするほど、商品の持つ芸術的パワーは落ちていくように私は感じられます。

2007年9月16日日曜日

「初音ミク」がブレークしている

8/31に発売された歌声合成ソフト「初音ミク」が、販売元も想像しなかった売れ行きで大ブレーク中なのだそうです。HPはこちら
これは何かというと、数年前から発売されているVOCALOIDという歌声の合成技術を元にした製品。打ち込んだ楽譜データに歌詞を入力すれば、その通りに歌声の音声ファイルを出力するというもの。今回そのエンジンが新しくなり、VOCALOID2として生まれ変わりました。そして、その第一弾となったのが、「萌え系」に特化した初音ミクというわけ。

もともと、VOCALOIDは音楽制作系の人たちが使うための、どちらかというと専門性の強い製品として出されたのだけど、一部のオタクが、アニメの曲を歌わせたり、恥ずかしい歌詞を歌わせたり、というアヤしい使われ方をしているというのは聞いていました。
今回は、それを逆手にとって、萌え系ボイス&ボーカルのキャラ全面出し作戦でいったところ、これが想像以上の反響となったようです。
YouTubeやニコニコ動画にも続々とデータがアップされています。アマゾンでも現在ソフトウェアの売れ行きナンバーワンとなっています(実際には出荷が追いついていないらしい)。

さて、このVOCALOID、以前より私は大変興味を持っていたのです。
例えば、合唱団で音取り音源を作ったりとか、私のように編曲、作曲をやっていれば、本物の歌手に歌わせなくても、歌詞付きの音源が作れたりします。一向に音が取れない団員より、VOCALOIDのほうがよほどいいかも・・・、などという気分にもなるかもしれません。

とりあえず萌え系でブレークして、世間一般に認知度が高まれば、さらにいろいろな歌手のソフトも出てくるはず。きっと私もいずれ手を出すんだろうなあ、と思っています。

2007年9月11日火曜日

ノルウェー・ソリスト合唱団 in 名古屋

昨日、名古屋しらかわホールでのノルウェー・ソリスト合唱団の演奏会に行ってきました。
二年前の京都でのオスロ室内合唱団の感動を再び、というわけでこのコンサート楽しみにしていました。

全体的に言えば、大変素晴らしいコンサートだったと思います。
オスロ室内の圧倒的な感動とはまた違いましたが、ソリスティックな発声と、制御され統制されたアンサンブルが織り成す高レベルな室内合唱の世界を堪能しました。
冒頭のバッハはいまいちな印象でしたが、その後は京都の演奏を思い起こさせるような、ホールの周りで聴衆を取り囲んで歌うシーンや、歌いながら後ろのドアから消えていくという演出も。ああいう演出と、北欧の民謡的な旋律はとても良く似合います。

それに、あまり期待してなかった「風の馬」が意外に面白かったのです。
こういう選曲って、日本公演でのサービス的なものを感じていたわけですが、これが予想以上に質の高い演奏。リズムやハーモニーがとてもクリアで、曲作りも非常に明晰。今までに聴いたこともない構造的音楽作りの「風の馬」なのです。組曲からの抜粋であるにも拘わらず、曲の流れに物語性を感じる、非常に知的な印象を与える演奏でした。

この指揮者、グリーグでも心憎い音楽作りをするし、民謡も自らとても美しい編曲をするし、過剰な振りの無い的確な指揮もカッコいい。それに、ベルボトムのパンツを着こなし、見た目もクールだし、やはりスゴイ能力と人を惹きつける魅力を持った人だと思いました。

2007年9月8日土曜日

iPodが売れているワケ

先ごろ、iPod touch が発表され、ますます大きな話題になっている Apple の iPod シリーズ。個人的には、Appleの出す新製品にはいつも注目しているものの、実を言うと、家では一つも Apple 製品は持ってません。そろそろ、iMac でも欲しいなあ、とは思っているのですが・・・、iPod touch も面白そうだし・・・

今更ながら、ここまで iPod が売れていることに本当に驚きます。
iPod の前だって、ヘッドホンステレオの世界は以前より存在していたし、その中で SONY の Walkman は圧倒的な製品だったように思います。それが、あっという間に世界中 iPod に染まってしまったのは何故だと思いますか?
もちろん、こんな問いは、世界中の様々な人たちがこれまでも語ってきたし、恐らくほとんどの電機メーカーの製品企画会議でも話題になっているはず。

多くの人は、最初にHDを搭載してたくさんの曲を入れることが出来たとか、PCとの連携とか、そういう機能面のことを語るように思います。
しかし、私としてはもう一つ別の側面を強調したいと思うのです。
それは、iPod だけでなく Apple 社の製品には工業製品における「作家性」のようなものが感じられるという点です。いわば芸術としての存在価値という側面です。

最近は、電気製品でもデザインが重視されたり、家の中の小物にもちょっと変わったものが売られていたりします。ウチでも妻が北欧雑貨とかが好きで、妙な小物が家の中に増えてきました。
機能性が第一だった電気製品が一通り普及した後、次にそれらを買いたいと思う大きな動機には、その製品が持っている芸術性、存在の魅力のような要素が重要になってきているのかもしれません。

まるで、音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだりするように、その製品との生活を楽しむ。そのとき、その製品は誰がデザインして、誰が開発したのか、そういうことがまるでどんなアーティストが作って、どんな作家が書いたのか、と同じように判断されるようになりつつあるのではないか、とそんなふうに感じます。
Apple 社といえば、その人物はもちろん、スティーブ・ジョブス。今の Apple の製品の面白さというのは、まさにジョブスの作家性、芸術性にあるのではないかと、私は感じています。
恐らく、世界中の多くの人が Apple 社製の製品に、他のメーカにはない芸術性を感じ、そのソフィスティケートされた存在感に魅了されているような気がします。

2007年9月2日日曜日

孤独の迷宮 FAQ その2

・ポリフォニックな部分、各パートの繰返し周期が違っているが、4/4拍子で書いてある意味があるのですか?
演奏上での表現に関しては意味はない、と言えるでしょう。
とはいえ、ルネッサンス音楽のように小節線を書かない、というのも変だし、全部を一つの小節にしちゃうと「何小節目の何拍目」って指示するのも大変だし・・・まあ、実際の音楽活動の中でそれなりに小節線を書いておくメリットは大きいと思います。
逆に言えば、その程度の意味です。

・ポリフォニックな部分の中盤で調性が変わりますが、どのように表現すべきでしょうか?
特にこうして欲しい、というものはありません。あるなら楽譜に書きますし。
各団体にて、調性の変化に対して変化をつけるべきか、付けるならどのようにすべきか考えてみてください。
作曲上の意味としては、さすがにあまりに変化が無いのは聴くに耐えられないだろう、という意図で、このような変化を途中で入れています。

・tu tu tu は何を意味しているのですか?
私のイメージは、孤独の中で不安が高まっている様子を表したものです。例えば、もっと具体的に言うなら「頭痛のテーマ」と呼んでもいいかもしれません。そうすると、表現したいものが限定されるので分かりやすくなりますね。
同様に、演奏する団体で自由に具体的なものに当てはめてもらって構いません。
いずれにしても、静謐な各パートの繰り返しの中で現れる「tu tu tu ・・・」のテーマは、料理のし甲斐がある素材であり、この曲の演奏の成否のポイントとなるでしょう。

・どのような"u"の母音をイメージしていますか?
この曲は、全て同じ "u" の母音で歌われるべきとは思っていません。例えば、ku と mu の "u" の母音は、文章の中などでは音声学的に違う可能性があります。
ですから、"u" でひと括りにされる母音の様々な表情を音楽の中で表現して欲しいと思います。
考えようによっては、この曲は良いディクションの練習曲かもしれません。

・長谷部さんは迷宮が好きですか?
好きではないですが、仕事でよく迷宮に陥ります。