2004年10月31日日曜日

正しいピッチで歌うには その2

前も書いたとおり、ピッチが悪いという指摘には、音楽の様々な要素が絡み合っているものです。
音程を語る際、単純なピッチという物理的意味だけでなく、音楽一般理論としての常識、曲の文化的文脈にも依存するはずです。もちろん、実際には先回言った発声、呼吸といった声楽的な問題が一番大きいに違いありません。

ただ、実際アカペラ作品を歌う場合、歌い手側が直面する問題は、もっと具体的でシビアな内容です。
声部間でピッチが崩れたとき、誰に合わせたらいいか、というようなことを瞬間的に判断しなければなりません。このような苦労をするのは、いつも間に挟まれる内声部であることが多いのですが、もちろん外声部だって合わせようがないということもあります。
こんなとき、みんなベースを良く聞いて、とか言ってベースにピッチの基準の責任を負わしたりします。もちろん、ベースがきちんと歌わなきゃいけないのはいつでも正しいことではありますが、ベースに合わせることが一般的に正しいかどうかは何ともいえないでしょう。メロディ側に合わせるという考え方だってあります。もちろん、合わせられる側が大きく崩れないというのが大前提ではありますが。

実際には、アカペラのピッチに関しても人間関係とは別の、演奏時に起きる力関係^^;というのがあるわけです。音楽の屋台骨を支えるメンバーが何人かいて、そのメンバーのピッチ感に左右されることもしばしば。よくそういう人のことを核になる、なんて言いますが、核になっているメンバーとはいえ、所詮アマチュア合唱団員ですから、本番で思わず崩れる場合があります。本来ならば、そういうときに音楽全体が崩れないように、個々のメンバーが他人に依存しないだけの自立した音楽表現力を持たなければいけないのですが、なかなかそれは難しいことです。
パート内の核となる人、というのが音楽に大きな影響を及ぼしているにも関わらず、練習中に前に立つ指導者がそれを具体的に言うのはやはり気が引けます。指揮者はあくまで団に対して指示をするのであり、それをどのように咀嚼して表現するかは歌い手側の領分だ、という言い方もできるでしょうが、プロ合唱団じゃないし、実際には合唱団は指揮者の(見た目には)言うなり状態です。
こういうところが、アマチュア合唱指揮の難しさだな、と本当に思うわけです。練習中に核になる人だけに注意するわけにもいかず、逆にそれ以外の人たちを指定するわけにもいかず、直して欲しい人は一向に直してくれず、直さなくていい人が余計に反応してしまうのは良くあること。まあ、指示に繊細であるから上手に歌えるし、鈍感だから表現力が弱いことにも繋がるわけですが、それが一緒くたになっていることが歌い手側の合唱団の心地よさに繋がっているのかもしれません。だから、このような状態でピッチの指示を続ければ、パート内のピッチのずれは広がる一方です。

なかなか、現実の音楽を構成する各人の機能を明確にすることは難しいものです。本当にやってしまえば、うまく歌えない人を糾弾することになり、結果的に団の雰囲気を悪くします。あるいは、歌えない人を歌わなくさせる雰囲気を作ってしまいます。
実際には、合唱団の中に流れるある種の緊張感、張り詰めた雰囲気のようなもの、が結局のところ必要なのかもしれません。コンクールに一生懸命取り組む団体はそういう雰囲気も作りやすいのかもしれませんが、それだけの気合を入れるのも一苦労。そうなると、パート全体に対する指示でお茶を濁しながら、日々の練習を費やすということになるわけです。
いずれにしてもアカペラのピッチ精度は、団内の核メンバーに依存することが多く、この辺りを指揮者がうまく押さえることが隠れたポイントなのかなとも最近思ったりするのです。

2004年10月24日日曜日

台風23号のつめ跡

といっても、深刻な話題じゃなくて・・・(いや、あやうく私にとって、深刻なことになりそうだったのだけど)。
先日の台風の晩、うちの一帯が停電になったのです。
たいていの停電なら、数分して元に戻ったりするものですが、この日は午後7時過ぎから2時間近い停電。台風だったので私も会社から早く帰ってきてその時間は家にいたのでした。
停電になってから、暗闇の中で懐中電灯を探したり、ローソクを付けたりして、少しばかり災害の不安さを体験した気分。困ったことは、同時に断水になったこと。恐らくうちのマンションでは電気で水を汲み上げているのでしょう。電気が来ないと、本当に何も出来なくなっちゃうことを実感。

さて、停電だけなら良かったのですが、停電になったときパソコンを立ち上げていて、その後復帰した後に、もう一度パソコンを立ち上げなおすと、なんとパソコンがうんともすんともいいません。どうも停電になったときに、故障してしまったようなのです。
2年前に買ったものですが、スペックとしてはまだまだ十分使えます。それなのに、パソコン買い替えというのは出費がきつい。それに、ネットでライセンス登録したソフトとかは一体どうなるんですか?
メーカー製なら、修理に出すという手もありますが、ショップブランドだし、その辺りはあまり望めません。それで、新しいパソコンを買うか、自力で直してみるか、ここ数日いろいろ悩んでいたのです。
そもそも症状は、スイッチを押しても何も動作しない、というもの。立ち上がっている途中で止まってしまうのならマザーボードやHDのクラッシュなどが考えられますが、どう考えても電源かその制御部です。頑張れば直せないものかと考えてはみたものの、私もそれほどPCに詳しいわけじゃありません。

悩んでもしょうがないので、昨夜、PCを買ったDOS/Vパラダイスの浜松店に聞いてみたのです。
保証期間が過ぎているので、どこが故障したか調べるのには3000円を頂きますという話。仮に、そこで故障箇所が見つかったとしても、たとえ2年前の物とはいえ部品はもう無いから、例えば故障箇所がマザーボードなら、PCの買い替え以外は選択肢がないだろうということ。マザーボードだけ、最新のものに取り替えられないか、と聞くと、CPUのスロットの方式やRAMなどスペックはどんどん変わっているので、そこだけ最新のものに取り替えるのは無理だと言います。まあ、知っている人には当然の話ですが、確かにPCの進歩は早くて、2年前のものでさえ交換部品がないことは想像がつく範囲かもしれません。
それでも、単純な故障であることを期待して、3000円の出費が無駄になる覚悟で、今日、ドスパラ浜松店に行ってきたのです。
しかし、店員は故障箇所がどこであっても、2年前のものだと修理は無理である可能性が高いことをしきりに説明します。電源でさえ、ファンの位置が最近は違っていて、新しい電源は2年前のものに付かないこともあるらしい。
それから、もう一つとんでもない話があって、この3000円の点検では、HDを全て消去するとのこと。これはもう、自宅で使っているPCが壊れたから点検する、というサービスなんかじゃなくて、PC自作する人が部品を組み上げたら動かないというトラブルを解決するようなサービスであることにようやく気付いたのでした。
結局お店の人とやり取りしているうちに、PCを持ってきているなら電源だけでも見ましょうか、というやさしい提案をしてくださり、その場で、動作する電源を取り付けてチェックをしてもらいました。
そしてなんと、嬉しいことに電源を変えたらPCは無事BIOSが立ち上がるところまで動作をしたのです。
電源を変えるだけなら、きっと何とかなります。結局、ドスパラ浜松店では電源は入手できなかったので、その足で別のPCパーツショップへ。
そうは言っても、どこでどういうオチがあって、取り付けられないという事態になるか分かりません。しかもたいてい、そういうことを店の人に尋ねても、いまどきはそれほど親身になって話は聞いてくれないのです。実際、ユーザが持っているPCの環境は千差万別で、そういう状況に店の人は対応できないのが実態でしょう。ですから、PCのパーツを買うときは自己責任で、自信を持って買うのが王道なのです。
とはいえ、買ってきたら取り付けられなかった、のではショックが大きい。その店で、最も安い中国製の電源(1800円)を購入することを決断。写真で見る限り、ファンの位置も良さそうです。

というわけで、無事この記事をアップできているということは、その電源、ちゃんと動作してくれて、元通りPCは生き返ったということなのです。
いやー良かった、良かった。
確かに電源は、ケースと微妙にサイズが違っていて、ぴったしじゃなかったですが、ネジで無理矢理止めてしまいました。結局、3000円どころか1800円でこのトラブル解決しました。
政府の方へ。台風23号の被害総額に長谷部家のPC修理代、1800円を加えてください。

2004年10月18日月曜日

正しいピッチで歌うには

合唱の技術的な話としてピッチに関してはいろいろ書いてきたりしましたが、こういったストレートな問いはこれまでの談話ではなかったように思います。
正しいピッチで歌う方法があれば、まあ、すでにみんなやっているわけで、そんな解決方法がないからこそ、いろいろ悩むわけです。最近は、少人数のアカペラ合唱をやる団体も増えてきて、かなりの団体がピッチの問題を抱えていると思いますし、コンクールの批評などでもピッチの指摘を書かれることは多いでしょう。

私とても偉そうに書ける分際じゃありません。
指揮をしているときは、ピッチが悪いと言うことは出来ます。でも誰に対してどう指示すべきかは悩むものです。逆に自分が歌っている立場になると、ただ聞いているときよりは絶対に気付きにくくなります。別のことに気を取られて歌っていると、今度はピッチが悪くなってしまうという感じで、同時に複数のことを考えながら歌うのは難しいものです。それもたいていの場合、自分が歌っているときは自分では気付かず、人からピッチが悪いと指摘を受けたとき、指摘そのものが怪しい場合もあって^^;、実際のところどうすべきなのか自分でも良くわからないのです。
つまり、ピッチというのは本来極めて確かな定義がある物理量であるにもかかわらず、実際の練習の場では、そのような明確な基準で指摘されたり、的確な手順で修正されているとは思えない実態があるわけです。今、低いと思ったパートに対して、指揮者が「低い」と言うだけの練習なら、恐らく合唱団のピッチは良くはならないでしょう。

他人の演奏に対して「ピッチが悪い」とか「ハモっていない」というのは、厳密な意味において、全て正しい指摘になってしまうわけで、ついつい誰でも言いたくなってしまう便利な批評言葉です。しかし、実際、ピッチが悪いと感じる評価基準そのものが人によって様々で、なかなか額面どおり受け取っていいものかどうか難しい場合もあります。
私の考えるに、微妙なピッチの問題は音色の問題も大きいと思うのです。ピッチが悪いことが気になる音色というのがあります。言葉を変えれば、ピッチが悪いと思われやすい音色です。むろん、平べったく声楽的でない発声はそういう音色の代表格ですが、鋭く固い音色であるほど、ピッチ的な指摘を受けやすい(もちろん発声の指摘も受けやすい)音色なのでしょう。かといって、輪郭をぼかすような音色は、最終的には少人数合唱団に必ずしもいい音楽をもたらしません。
あとは、呼吸の問題。ブレスの安定度。音程は正しそうでも、息の量にムラがあると、どうしても歌声は不安定に聞こえます。不安定な歌い声は、それだけでピッチが悪いと指摘されやすくなります。
そういう意味では、ピッチに対して、ピッチそのものを直そうとするより、本質的には音色、呼吸といったような発声技術を整えていくことが必要だと思われます。ピッチが悪くなりそうな箇所というのは、割と一般化出来ます。例えば同じ音が続く箇所とか、開口系母音に変わったときとか、ピッチの跳躍が大きいときなどが挙げられます。そういう一般ルールを知るだけでも、多少意識して歌うことができるようになるかもしれません。
まあ、そうはいっても一般合唱団でそこまで通常練習の中でやることは実際難しいし、ボイトレ自体が定義された体系をなかなか持っていないという現実もあり、ますます練習の進め方に対する悩みは深まります。

実際のところ、ピッチの問題は音楽のあらゆる様相に関わっていて、やはり単純ではないのだと感じます。
つまるところ、ピッチの良し悪しは歌い手個人個人の耳の良さに依存してしまうのですが、耳の良さは音楽経験だけで培われるものではありません。知識や文化的背景によっても、ピッチを感じる精度は変わります。例えば、ある程度和声の知識があれば、今歌っている和音が何なのか、自分が和音の第何音を歌っているのか、それを知るだけでも和音精度を上げる手がかりがつかめます。ただし、和声知識は指揮者であってもかなり怪しいので、なかなか望むべくもありません。同様に、純正の和音に関する知識や音律の知識なども多少の参考にはなるはずです。
もう一つは、音楽が聴衆に与える効果、というのをどれだけ読みきれるか、という点も重要です。テンポが速く、音符が細かい音楽では、ピッチ精度は低くなりますが、聴衆の判断できる精度も悪くなります。だから、ことさらにそういう箇所のピッチを一生懸命練習するのは効果的とは思えません。逆に、一つの和音が比較的長く聞こえる場所こそ、きっちりと和音合わせをする必要があります。もちろん、そこだけ練習して出来ても、流れの中でやらないと意味がない場合というのもあるので、どのように細切れにして練習するかは指揮者のセンスが問われますが。
そういう練習の中で、誰が何を気をつければピッチが良くなるのか、的確な指摘とはどういうものなのか、またいろいろ考えてみたいと思います。

2004年10月11日月曜日

スウィングガールズ

はっきり言って、青春ドタバタものなんですが、これがなかなか楽しませてくれます。
若者向けなのに、きざでかっこよいセリフなんかしゃべらせず、ひたすら等身大の高校生の容赦ないダサい描写がリアル。こういった感性って、日本人の心に普遍的だなあって思います。結局、かっこなんか付けられないおっちょこちょいの人間が人情だけで突っ走る、そういう爽快さを私たちは欲しているのです。寅さんしかり、釣りバカ日誌しかり。伊丹十三モノなんかもそういうところがあります。
そうはいっても、この監督、なかなかいいセンスしてますよ。クドい、とか、あり得ない!とか言われる一歩手前まで来ている設定なのに、それなりに納得させるだけの脚本のパワーがあり、それに合った役者の演技を引き出しています。誰一人、演技が下手とか思えなかったし。
ギャグもきちんと笑わせます。滑ったりしない。一つには、思いがけないタイミングを狙っていて、想像がつかないことがあるでしょうし、一発芸的ナンセンスギャグなんかじゃなく、ちゃんと意味的に面白いギャグを心がけているというのが好感持てるのです。

やっぱり主題が音楽というのがいいですね。
まあ、実際にはこんなに簡単に楽器が出来るようになるわけはないし、途中で仲間が増えるところなんかも映画的でいい加減な設定なんですが、それでも少しずつ楽器が吹けるようになっていく、という悦びをほんのちょっとだけ味あわせてくれます。
中学に入った頃、ブラバンに入った人が、一生懸命マウスピースをくわえて練習していたのを思い出します。はたから見ると、何で簡単に鳴らないんだろうと思うのですが、最初は本当に鳴らないんですよね。もちろん、私なんか今だって鳴らすことは不可能です。でも金管をやっている人は、唇の振動だけで音出しちゃうんですね。ちなみに、浜松でやけにラッパを吹ける人が多いのは、どうも浜松祭りのせいらしい、ということが私にはわかってきました。

スウィングというのは、かなり曖昧な感覚で、人によっても思うところは違うのですが、ここでは裏拍を感じるアフタービート的なことをスウィングに象徴させてクラシックとの違いを引き立たせています。そういうあたりは、映画の分かりやすさに繋がっていて、脚本のうまさに舌を巻きます。
本来、ビッグバンドジャズなんていうのは、もう十分ふるーい音楽でシブ過ぎるのですが、逆に今時だと新鮮なんでしょうかねえ。基本的にジャズというのは内向的に向かわないイメージがあって、それが有り余る女子高生パワーとうまく一致するのかもしれません。女子高生とビッグバンドジャズという取り合わせにも、なかなか面白いものを感じました。

先の展開が分かっちゃいるけど、楽しめちゃう。そういう映画です。
特に、アンサンブルで音楽やっている人は爽快感を覚えることでしょう。実際にはこんなにうまくいかないんですけどね。

デザインの日産

昨年、新車を買った話は、ここやここで書きました。
車を買うときはもちろんいろいろなことを検討して車種を決めるわけですが、買ったことをきっかけに、その後も車の新車情報などがやけに気になってしまうというのは良くあることです。
日産車のオーナーになったからかどうかはわかりませんが、最近はかなり日産贔屓。国産自動車メーカーの中で、日産の車だけやけに垢抜けて見えるのは私だけでしょうか?

よほどのカーマニアでなければ、いまどきの車にエンジン性能やら、コーナーリング性能の違いを求める人はそれほどいないでしょう。というか、語る人は多いけど、それが購買行動までは結びつかないのだと思います。実際には、スペースユーティリティや使い勝手、デザイン、車全体が醸し出す雰囲気のようなもので車種を決めているのでしょう。車というと高い買い物ですから、人々は慎重になる。そこでどんな車を選ぶかは、ある意味、その人の嗜好性を非常に良く表すものとなります。
私は、結局、見た目のデザインに惚れてプリメーラにしたわけですが、そういう感性の人から見ると、今の日産のデザインって今までの国産車のイメージとは一線を画していて、工業製品のデザインとしてどれも素晴らしいものに感じます。

プリメーラはもちろんのこと、日産の伝統の車種、スカイラインもかっこいい。もうちょっと歳を取っていてお金があれば、これでも良かった、と思う車です。それから、恐らく自分では買わないようなスポーツタイプですが、フェアレディZとか、最近出たムラーノなんかも、近未来イメージの車がそのまま飛び出てきたような感じで、思わず見とれます。マーチやティーダのようなコンパクトカーでも、どこか一皮向けた洒脱さを感じます。
全体的なイメージとしては、ボディー全体が丸みを帯びているのが特徴でしょう。サイドも平坦ではなくて、必ずデザイン的に何らかの処理をしてあります。ヘッドライトやテールランプも取ってつけたような真四角でなく、車の丸みの流れと一体感を持たせていて、デザインの統一感の引き立て役になっているのです。
このデザインの印象は、ヨーロッパ的、とりわけフランス、イタリアの南欧的なイメージです。そう考えてみると、最近の車種のネーミングは英語からイタリア語っぽくなっていますね。ティーダとか、ムラーノとか、フーガとか、プリメーラとか。イタリア語なら日本語との相性もいいし、英語よりエキゾチック感があるのかもしれません。フランス語だとちょっと嫌味になりそう。

しかし、こういった価値観が日本市場において無批判に受け入れられているわけではないでしょう。
上のような丸さは、スペースユーティリティの悪さや、運転時の視界の悪さを引き起こします。どうしても、車体全体が大きくなってしまい、コンパクトでかわいらしさを求める日本人にはちょっと合いません。日産で今最も売れている車はキューブで、そういった日本人の心理にフィットしているのでしょうが、上のようなラインナップとは明らかに異質なデザインです。
これまでヨーロッパ車に乗りたいと思っていた人たちをどれだけ引き付けられるかが日産の勝負のしどころでしょうが、外車であること自体に悦びを見出している人を振り向かせるのは無理でしょう。そういう意味では、日本人にヨーロッパ的感性の工業デザインが受け入れられるかどうかが、今後の日産の浮沈を左右するのではないでしょうか。

最近だと、マツダなんかもヨーロッパ的なものを意識してますね。どの車も同じ顔をしているという戦略は、日本メーカー的発想じゃなくて、一本筋の通ったものを感じさせます。

2004年10月4日月曜日

激しい週末~関東大会など

本日、毎年恒例の合唱コンクール関東大会に参加してきました。
それにしても、この週末はハードでした。というのも、この忙しいというのに昨夜名古屋に行ってきたからです。

昨日(2日土曜日)、関東大会のための練習をお昼の12時から3時までやった後、一路名古屋へ。名古屋で活動しているコールクリアスカイの演奏会を見に行くためです。この演奏会で、拙作「アステカのうた」を演奏するので聴きにいったというわけです。「アステカのうた」は私が指揮する合唱団では、長い間取り上げていたのですが、それ以外の合唱団で取り上げてもらえるのが恐らくこれが初めてだったのではないでしょうか。ちなみに、今回ジョバンニから発売されたCDでも、コールクリアスカイが「アステカのうた」を録音してくれています。
さて、この合唱団、団員がかなり若く、とても勢いのある合唱団です。演奏会のプログラムもかなり意欲的。正直、この人数で一晩でやるには少々多すぎかなという感じはしました。演奏自体はいろいろと傷はあるにしても、合唱団全体で伝えたいことが明確で、こだわりを強く感じた演奏でした。「アステカのうた」も日本語を非常に大事にして歌ってくれたのは、とても好感が持てます。密集和音の多い、音の取りにくい曲ですが、かなりの精度で歌ってくれていたと思います。より歌詞の意味を咀嚼して、例えば終曲のちょっとエッチな感じがうまく表現できているとさらに嬉しかったのです。

終演時間も遅く、新幹線の終電が間に合わなくなるので、打ち上げは後ろ髪を引かれながらもパスすることにして、ジョバンニの木村さんと店員?のFちゃんと夕食してから駅まで送ってもらうことにしました。
その後、車で名古屋駅まで送ってもらったのですが、意外に道路が混んでいる。車中では楽しく雑談していましたが、だんだん終電の時間が近づき気になってきました。しかし、時間は刻々と去っていくのに、車はなかなか進みません。そして・・・・なんと、終電までに駅に着くのが間に合わないという事態になってしまったのです!
いや、マジにあせりました。その後、浜松まで帰れる電車は東海道線のムーンライトながらという夜行列車のみ。仕方がなく、このチケットを名古屋駅で買って、その出発までの空いた一時間あまり、結局、コールクリアスカイの打ち上げにお邪魔することになったのでした。
それにしても、打ち上げ会場に私が現れたときの皆の喜びようといったら・・・。顔が引きつりながらも、皆の歓迎を受けて、おいしいビールをいただきました。ほんのちょっとでしたが、何人かの方とお話できて楽しかったです。

そんなわけで、夕べ家に着いたのが夜中の一時半過ぎ。
翌日は関東大会で、早めに集まって声出しするので、朝6時40分の新幹線で静岡に向かう予定。おかげで、結局昨夜は4時間ほどしか寝れませんでした。
今日は、あいにくの雨。本当は、会場近くのお城の中で発声練習しようと思っていたのですが、仕方がなく会場の静岡市民文化会館の入り口の前で、発声練習をすることに。関東大会恒例の朝練習は、地元ということもあってか、残念ながら例年よりあまりしっかりした練習が出来ませんでした。
職場の部は、全体の中で朝一番。そして我々の出番はその2番目。大会開始後、早々に本番のほうは終わってしまいました。ちなみに結果ですが、昨年とほぼ同じ結果です。今年は最低人数8人での参加だったので、もうビリにならないだけでもマシというのが、正直な感想。来年は、もう無理かなあ・・・。

さて、その後は、恒例の一般の部の鑑賞会。
睡眠不足だったこともあり、気が付くと何度も意識を失ってはいましたが、結局、お昼の後の一団体を除いて、全部聴いてしまいました。
特に一般の部Aは、若い同年代の団員が集まっている団体がとても多くなっています。これって、やはり学校のOB,OGじゃないかなあ、などと勘ぐってしまいます。高校時代のコンクールへの情熱を忘れられない人たちが集まって作ったみたいな・・・
そういう団体の中でも、すごく時間をかけてきちっと作っているのが伝わる演奏がいくつかありました。若いということもあって、やはり時間が十分あるのでしょうか。それならば、本当に羨ましい。
山梨県のS.C.Gioiaという団体、初めて聞く名ですが、マドリガーレの歌い方を徹底的にこだわっていたのが印象的。メッサディボーチェ的歌い方をとことんまで先生が叩き込んだのが良くわかりました。埼玉県のアンサンブル g/fは、声が統制されていて、完璧に揃えられていました。ここの声はすごいと感じました。ただ、統制されすぎたのか、歌の表現が少し弱かったかもしれません。
結構衝撃的なのが神奈川県の横浜室内合唱団海~kai~。コスチュームがいきなり派手で目を奪われます。曲の沖縄民謡に合わせたのでしょうか。そして、リズムに合わせて、指揮者をはじめとした全員がうねうねと動きながら歌うスタイルは、ちょっと怪しい。しかし、よくよく聞いていると、指導者が非常に細かいところまで丹念にこだわって音楽を作っていることが伺え、そのセンスはなかなかのものと感じました。

一般の部Bでは、川越牧声会があの鳴り声でラインベルガーのドッペルのミサ曲を聞かせてくれたのが絶品。もちろん代表に。
そして、なんともう一つの代表は、地元の浜松合唱団がゲット!!いやーおめでとう、浜松合唱団の皆さん。私も全国大会では応援しますよ!全国では、さらに良い演奏が出来るように頑張ってください。