2007年10月28日日曜日

自虐の詩

もはや慣用句となっている「ちゃぶ台をひっくり返す」。
この言葉を、そのまま映画にしたらどうなるんだろうという企てで作られたような映画。
前半に集中する、阿部寛のちゃぶ台ひっくり返しは、芸術的とも言えます。これをしっかり捉えたカメラワークも素晴らしい。
ごはんが、味噌汁が、寿司が、うどんが、とんかつが、宙を舞って飛び散る、そこに潜む美学に日本人なら誰でも心打たれるはず(ほんとか)。ちゃぶ台返しにここまでこだわった映画はきっと今までになかったことでしょう。
ついでに、畳ごとひっくり返したときに、床下からねずみが飛び出していたのはCGによるシャレだと思われます。

さて、この映画の基本的な内容は、貧乏で社会の底辺を這って生きているような人々が、幸福って何だろう、と考えつつ、笑いあり涙あり、の日々を描写したものです。
正直言って、「嫌われ松子の一生」と中谷美紀のキャラがほとんどかぶっています。中谷美紀は完全にこの手の人物がはまり役になってしまった感あり。ストーリーも「嫌われ松子」に近い雰囲気を持っているのですが、中学時代のエピソードなど、微妙なリアリティがあり、後半は結構涙腺が緩みっぱなし。
泣いて笑えるなかなか面白い映画です。

2007年10月26日金曜日

ネット時代の著作物

微妙に前回とタイトルは違います。
著作物から、どうやって使用料を取るか、と考えている一方で、ほとんどお金にならない著作物を作り続けるたくさんのシロートさんがいます。
無論、著作物のレベルが低いことがシロートさんである所以なのですが、それはあくまで一般論。私の思うに、アマチュアであっても非常に芸術性の高い著作物を作れる人は少なからずいます。
そういう人たちが、なぜプロとして活躍していないかというのは実に牧歌的な疑問であって、どんなジャンルでも有名になれる人はほんの一握り、明日の飯の心配をしながら商業主義に魂を売るくらいなら・・・と考えるアマチュアが多くても何の不思議もありません。

しかし、そういうアマチュアクリエータが活躍する場がだんだん増えています。
例えば、ちょっと前に書いた「初音ミク」が流行っているニコニコ動画。「何という才能の無駄遣い」というコメントが誉め言葉として動画を流れていきます。
これに関しては、IT関連の論者たちもいろいろ注目しているらしく、才能が才能を呼び起こし、新しい価値創造のあり方として、無名な者同士のコラボレーションが大きな流れになるかも、と論じられています。
テレビ、雑誌といった媒体で、レコード会社、出版社などがアーティストを売り込む、という方法が緩やかに衰退していき、その代わり、ネットの中で利害とは無関係な人々が、コンテンツの楽しさ、凄さを論じ合う、という時代になれば、まさに芸術の世界にプロが必要なくなることになるかもしれません。

2007年10月23日火曜日

ネット時代の著作権

PD合唱曲に関連して、ちょっと著作権のことなど。
ネット環境が発達した昨今、音楽や映像も簡単にコピーし、ネットを通じて世界に公表することが出来るようになりました。
そもそも、インターネット以前の社会では、レコードもビデオも実際のモノが無ければその中身も鑑賞できなかったし、そういったものを情報の劣化無しにコピーすることなんか出来なかったわけです。ところが、今の技術をすれば、情報は完全にモノから分離され、ネットワーク上で自由にやり取りが可能になってしまいました。
ですから、前時代的なものさしで著作権を運用することにはやはり無理が生じてきます。

今は私的録音補償金と言って、私的録音による損失金額を、メーカがMDなどに上乗せして売って、それを権利者に還元する制度があります。
今、その補償金を、iPodやPCからも徴収しようという話もあるようです。それを言ったら、メモリカード、USBメモリ、HDなど、全ての記憶媒体から補償金を取らなければいけませんが、そこには必ずしも著作物のコピーが置かれるわけでもありません。
そんなわけで、補償金制度も破綻しかかっているようです。

著作物を簡単にコピーできるような技術は悪いものなのでしょうか?
私たちはもうそんな便利な世の中に慣れきってしまいました。今ここにあるデータを、他人に渡すのはあまりに簡単です。でも、そんなに簡単に「悪いこと」が出来てしまう世の中も何かおかしい気がします。

2007年10月17日水曜日

PD合唱曲

PDとは Public Domain のこと。つまり著作権が切れて、誰もが自由に使える著作物のことです。
さて、実はPD合唱曲シリーズと称して、ネット上で自作品をPDFで公開しようという企画を始めました。これらの作品は、Public Domain として著作権を行使しません。
そういえば、以前もこんなことを書いていました。もともと、職業作曲家であるという意識はさらさら無いし、作曲したら演奏されてナンボだとも思っています。であるなら、ネットの特性を生かして、広く自作品を公開してしまおうと考えるのも自然ではないでしょうか。

とはいえ、全部の作品を公開するわけではありません(すでに出版しているものもあるし)。
今のところ、愛唱歌的なシンプルな曲を一曲単位で公開しようと考えています。むろん、詩は著作権処理の必要の無いものを使わざるを得ません。
シンプルとはいえ、多少実験的なことも試みてみたいです。実験的といっても超複雑、とかでなくて、もっとジャストアイデア的な感じで。
早速、一曲作ってみましたので、ぜひご覧ください。

ネット上を探すと、例えばこんなサイトがありますね。著作権の切れた作品を PDF でダウンロードできます。
もちろん、PD なので、ほとんどが古い曲なのですが、なぜか生存中の作曲家の曲もあります。これって、やはり作曲家が著作権を放棄したってことなんですよね。

2007年10月13日土曜日

好きな古代文明、嫌いな古代文明 その2

中南米、というか、もう限定しちゃうとアステカ、およびインカは、かなり気になる古代文明です。
そもそも、アステカ、インカを古代文明とするには、年代は新しすぎるのだけど、デアゴスティーニ的にはやはりこのあたりは外せないのでしょう。
なぜこれらが気になるかというと、世界史の中で、進んだ文明とある種遅れていたと言っていい文明が出会う、という非常に稀有な出来事があったからです。結果的には、いずれも進んだ文明(スペイン人)によって両文明は滅ぼされてしまいます。もちろん、ここで「進んだ」と言っているのは、単純に武器とかというような技術的な面なのであって、王様が国を治めているという点では、実は政治的にはそれほど違わなかったのかもしれません。
技術力や価値観の違う二つの民族が出会ったとき、どのようなことが起きるのか、それを最も極端に示したのが、スペイン人とアステカ、インカとの出来事であり、そこから私たちが学ぶべきことは多いと思うのです。

さて、「嫌いな」古代文明、というのはさすがに言い過ぎかもしれませんが、あんまり好きではないのは古代中国でしょうか。特に理由があるわけでないのだけど、どうも私のイメージでは、中国の歴史って有史以来、とても画一的な感じがしてしまうのです。戦国時代を除けば、王朝はだいたい同時に一つだし。
真面目に勉強すれば違うのだろうけど、ヨーロッパやメソポタミアのようなダイナミックさがちょっと無い感じがします。
そうか、エジプトがあんまり好きでは無いのは、同じ理由なのかもしれませんね。

2007年10月6日土曜日

好きな古代文明、嫌いな古代文明

Ancient前も一度さらっと書きましたが、デアゴスティーニの週刊「古代文明」を購読中。
これってよくよく考えると、毎週560円、全100回とすると、何とトータルで\56,000。特製バインダー代まで入れたら、6万円近い買い物です。普通なら、6万円の古代文明事典なんて買いはしないわけですが、週刊というスタイルだと毎週目を通せるし、何だか許せてしまうんですね。デアゴスティーニ恐るべしです。

しかし、それにしてもこの週刊古代文明、なかなか面白いんですよ。
古代文明っていうのは、当然ながら歴史としてわかっていることもあるし、わかっていないこともあります。史実なのか、伝説なのかわからないこともあります。
その結果、このシリーズは、歴史でもあり、考古学でもあり、科学的側面もあり、その一方で神話もあり、オカルトもあり、今に伝わる料理や風俗の発祥の話とかもあり、内容が非常に多岐にわたっています。前週では、ダーウィンまで出てきたし(古代というよりは、もはや地質時代の話…)。

その中で個人的に好きな地方の古代文明というと、ヨーロッパ系(ギリシャ、ローマなど)、メソポタミア、中南米(アステカ、インカ)といったところでしょうか。ヨーロッパ系はまあわかってもらえると思いますが、普通古代文明というとエジプトが有名。でも私的には、エジプトよりメソポタミアが好きですね。
人類史の中で、恐らく最も早く発展を始めたのが、このメソポタミア地方。農業や牧畜の開始も、文字の始まりも、国家の始まりも、かなりの部分でメソポタミアが先行しています。特に、楔形文字を使い始めたと言われるシュメール人は、その後の旧約聖書的世界と重なることもあり、結構興味を持っています。