2008年1月31日木曜日

著作権者の本当の気持ち

しつこく著作権ネタで。
よく読んでいるWEB上のニュースサイトでこんな記事がありました。
まあ、興味がないと読む気も起こらないと思いますが、内容はかなり濃いと思いますよ。
確かに著作権論議は、レコード会社とか出版社とかの権利を保持している企業と、コピーを可能とする機器を作るメーカーとの戦いがメインで、実はそこに実際のクリエータや、それを楽しむユーザの声が反映していることは少ないように思います。ネットでクリエータから直接ユーザに届けることが可能となった今、そもそも産業のあり方が根本的に変わる必要があるのだと思います。

上記記事の最後のほうで、完全コピーフリーにしたらどうか、という意見は我が意を得たりという感じでした。提案はさらに一歩進んで、税金で著作権料を徴収し分配する、ということを考えているようです。なるほどねぇ、さすがに専門家はいろいろなことを考えています。
ただ、税金だとクリエータは公務員ということになるのだろうか・・・と微妙な感じもあります。
もっとコンテンツを享受する側が、自主的に出資してくれるような仕組みがあればよいのですけど。

実際、一部のバカ売れアーティスト以外は、ほとんどの芸術家が「売れない」人たちであり、そういう人たちはお金が入ることよりも、まず知名度を上げたいと思っているのでは、とは何度も書いたとおり。
最低、作品を完成させるのに必要なお金さえあれば、意外とアーティストは貧乏にも耐えられるのです、きっと。
��そういえばこんな本も読んだっけ)

2008年1月27日日曜日

スウィーニー・トッド

ティム・バートンのファンとしては、この映画、もちろん見ないわけにはまいりません。
彼については、以前もいろいろと書きました。(コレコレ
今回は、「ビッグフィッシュ」「チャーリーとチョコレート工場」というファミリーでも見れるファンタジーから一転、ダークで陰鬱、血なまぐさい復讐劇に変わります。しかし、いくらストーリーが変わっても、バートン節は健在。いたるところに、ティム・バートン的世界が散りばめられていて、もちろん、いたく感動しました。

今回は何といっても、ミュージカル映画である、ということが大きな特徴。
そもそも「スウィニー・トッド」ってミュージカルとしてすでに有名な作品なのだそうです。今回、映画中に使われた音楽も、その元もとのミュージカルの音楽が使われています。
音楽の特徴は、ポップな感じとは違って、オーケストラによるシンフォニックなサウンドで、曲とセリフの境目が不明瞭な感じが、むしろオペラと言ってもいいような感じになっています。音楽的にはドビュッシーとかのようなフランス的な雰囲気が漂っていて、「ペレアスとメリザンド」でも観たような気分。何度か現れる二重唱なんかも、すごくオペラ的です。
ということで、この映画を一言でいえば、「スプラッターオペラ」という感じか。

スプラッターというからには血が流れまくります。R-15指定です。スウィーニー・トッドは殺人理髪師なのですが、カミソリで容赦なく首がかき切られていきます。結末はかなり衝撃的で、(バートン世界に精通していない)一般な方なら陰鬱な気分で席を立つことになるかも。
しかし、手加減のないファンタジーこそがティム・バートンの真骨頂であり、それをドラマとして割り切りながら、その世界観を堪能するというのがこういった映画の楽しみ方でしょう。

もともとミュージカルということもあり、舞台となる場面がかなり閉鎖的。また、歌でその時々の心情を表現するので、若干映画としてのスピード感は失われています。
ただ、やはり歌の力というのは強いなあ、とあらためて思いました。トッドの娘が囚われの身になっているときに歌う歌にはホロリとさせられました。

2008年1月26日土曜日

著作権、そしてアマとプロ

著作権と言えば、今ホットなのは保護期間延長問題。
今、日本の著作権の保護期間は50年なのだけど、実は欧米のほとんどの国々は70年となっており、それらと歩調を合わせようと政府が検討を始めたあたりから、大きな議論が沸きあがっています。
もちろん、ただ歩調を合わせるために変えよう、というのもおかしな話で、本来著作権は誰がどのような利益を得るためのものなのか、そういう本質的なことが問われています。
そういった議論を聞くにつれ、私としては保護期間の延長にどうもいい印象を持たないのが正直な気持ちなのです。既得権益を手放したくないお役所や、企業の論理と似ています。文化を個人視点で無く、社会全般の利益という視点で見れば、保護期間は短いほうが明らかに良いように私には思えます。

実際、財産としての著作権は、創作家がプロであるか、アマであるか(あるいは無名か、有名か)、それによって随分見方が変わるのではないかという気がしています。
アマなら、少しでも露出を多くして人々の目(耳)に触れてもらいたいと考えるでしょう。お金が儲かるより、名が広まるほうが重要だからです。だから、タダでもいいから流通させたいと思うのです。
ところが、プロの視点になるとちょっと変わります。
ある程度、芸術の世界で飯が食えるほどの立場なら、自らの作品が安く見られることに抵抗を感じるようになるのだと思います。作品の使用に対価が伴えば、少なくとも経済的な価値は認められたことになります。現実に収入が増えることを期待するわけでなくても、金銭的対価が作品の芸術的価値と見なせるのなら、やはりきっちりとした対価を期待したいのでしょう。

しかしプロがプロでいられるのは然るべき市場があっての話。
前回書いたようにCDや本が売れない今、市場自体が崩壊気味で、もはやプロが成り立つ前提さえも崩れつつあるような気がします。
そのときにアマに十分力さえあれば、いつしか力関係は逆転していくのではないか、そんな気がちょっとし始めているのです。プロが声高に著作権を主張すればするほど、アマの出番が増えていくのではないか、と。
そんなわけで自分のことでいうのなら、地道ながらPD合唱曲や、自作曲のYouTubeへのアップなど、自ら発信していく方法を模索しているところなのです。

2008年1月19日土曜日

CD,著作権,アーティスト

CDが売れないそうです。
そもそも、90年代のバカ売れが異常だった、という話しもあるし、携帯の普及とネットサービスの多様化が、音楽の消費を鈍らせているとも言われています。
アーティストやレコード会社などの権利者側は、iPodのような再生機器からもっと補償金を取って、著作権収入を増やそうと考えています。もちろん、メーカー側は機器の価格が上がるのが嫌なので、それに反対。コピーコントロールといったDRM技術をコンテンツに適用して、技術的にコピーされない仕組みを推進します。
しかし、そういった技術は不便さを消費者に強いるようになるし、そもそもどんなDRMも、世界の誰かが破ってしまって簡単にコピーできる裏技術が広まってしまう始末。いまや、売られているDVDも、フリーのツールでコピーすることは可能です。

全てが堂々巡りで、著作権に関する議論は傍から見ると終着点が見えてきません。
その一方で、ますますCDは売れなくなり、市場から良質の音楽が消えてきます。レコード会社の人に言わせれば、一部のバカ売れアーティストが、その他のあまり売れないアーティストを食わせている現状があって、音楽文化を衰退させない使命感だけで、売れないアーティストにも投資しているのだとか。
それでも、コンテンツが売れなくなれば、売れないアーティストは切り捨てられていかざるを得ませんし、音楽制作にかけられる予算もどんどん削られるでしょう。いまどき、レコーディングは本物のミュージシャンがスタジオに集まって取ったりするのはまれで、アレンジャーや作曲者自身が自宅のPCで打ち込みで作ったオケに、歌手がスタジオで歌入れしてそれで終わり。アルバム一枚、100万円くらいしか予算が付かないという話も聞きました。

一方、有名ミュージシャンが大手レーベルを離れ、ネットで直接ダウンロード販売したり、無料で配ったりする試みも始めています。もちろん、有名だからこそ出来ることですが、こういった方法はいずれレコード会社やCD小売店のあり方自体を根本的に変える可能性を秘めています。
CDと同じく、出版業界もかなり危機的状態です。amazon があれば、欲しいものは小売店で買う必要などありません。
私たち消費者は、夜な夜なネットでタダで楽しめるコンテンツを探し、ダウンロードし、自分のPCに取り込みます。そりゃ金を払わなくて聴けるなら、それでいいじゃん、と思う気持ちを止めるのは難しいでしょう。お金を出すか出さないかは、そのアーティストへの入れ込み具合にもよるかもしれません。

しばらくはこういった状況に対して、暗中模索の状態が続くとは思います。
結果的にはここ数十年で出来上がった音楽産業構造に大きな変化があることでしょう。そういえば、昔私もこんなことを考えていました。本当にこうなるとしてもかなり先のことにはなるでしょうが。

2008年1月14日月曜日

女声合唱曲のアップ

PD合唱曲シリーズに初の女声合唱曲をアップ。
万葉集の二つの短歌に曲をつけたもので、タイトルは「但馬皇女の恋歌」としました。言うまでもなく、テキストは但馬皇女(たじまのひめみこ)という人が書いた恋の短歌です。楽譜はこちら

楽譜はパッと見、かなりシンプルに感じると思います。そもそも、このシリーズは平易な曲をたくさん作りたいという想いから始めているので、そういう意味ではその目的に合ったものです。
ただ、基本的な音価が二分音符ベースなのは、ちょっと一般的でないかもしれません。四分音符で書いても良かったのだけど、ビートのゆるい感じとか、あるいはちょっと古っぽい雰囲気(ルネサンスみたいな)を出すために二分音符で表現してみました。

シンプルですが、アゴーギグのいじりようもあると思うので、それなりに曲作りを楽しめると思います。テキストは、ちょっと調べると分かりますが、かなり激しい(というか禁断の)恋を歌ったもので、どちらかというと大人向きかも。
女声合唱団がアカペラに挑戦するきっかけになるような曲になれば嬉しいです。

2008年1月10日木曜日

五つの母音の冒険 on YouTube

先日、ヴォア・ヴェールの演奏会で初演した「五つの母音の冒険」の動画を、何と YouTube にアップしてしまいました。
初演したとはいえ、なかなか多くの人が聴ける機会は無さそうなので、ネットを通じての広報活動です。もちろん、曲を気に入ってもらわないことには始まりませんけれども・・・。

以下をクリックすればご覧になれます。
"A":聖なるものへの讃美
"I":駆けめぐる知性
"U":孤独の迷宮
"E":拒絶と主張
"O":抱擁、そして祈り

演奏そのものには微妙な箇所はありますが、おおむね曲の雰囲気は伝えられていると思います。
また、ご感想などありましたらお聞かせください。

動画の編集には意外に難儀しました・・・。たいしたことやってないのに。

2008年1月6日日曜日

年末年始の音楽番組

年末年始に見た、三つの音楽系番組の感想など
個人的に大ヒットだったのは、年末の「いかすバンド天国」略称「イカ天」の特別番組。もう、イカ天ブームも19年前なんですねぇ~。
放送当時、私は入社直後で会社の寮生活をしていたのですが、同期入社のメンツでロックバンドなどをやっていて、土曜の夜には誰かの部屋で「イカ天」を見ていたものです。懐かしい・・・
それに今見ても、音楽も全然古く感じないし、アマチュアの熱さがひしひしと伝わります。何より、音楽におけるオリジナリティとは何か、そういう命題を視聴者に突きつけるような番組だったのだと思います。

次は年末のNHK紅白。
これは、最近の「芸能」世界での音楽状況を知るにはとても良い番組。要は流行の音楽チェックと、歌い手のチェックですね。
今年はテンポ感も良くて、色々工夫していると思いました。
あみんが再結成なんだぁ~とか、各世代にも配慮されているし。

あと、夕べ見た「のだめカンタービレ」。
のだめの話題は前も書きましたね
バカバカしいくらいのキャラの立て方をしている割りに、妙に音楽世界の生々しさが伝わってきて、そのリアルさに、ついつい引き込まれます。内容も何となく嘘っぽくない感じが良い。
プロフェッショナルな現場だから当然だとしても、音楽演奏には必要な知識習得だとか、分析だとか、そういう工程があって、でもやっぱり最後には奏者のクリエイティビティがあって、という厳しい現実をきちんと描いています。
でも、アマチュアの世界では、そういうのが小賢しく思われていて、どうしても向上心が変な方向に向かっちゃうんだよね・・・。