2009年12月5日土曜日

IT社会の行く末─本当に便利になった?

パソコン、ネットの普及で、数十年前には考えられなかったことが誰でも出来るようになりました。
ところがこういった言い方は現実を良いように解釈した場合のこと。実際の現場で起きていることを考えると、便利になったと簡単に言うのは憚れるような気がしています。

例えば、マイクロソフトのワード。ワープロとしての機能盛りだくさんで、ちょっとした印刷物の版下に十分耐えうる品質のものを作り出すことが出来ます。
しかし、ワードについては多くの人が使いづらいと感じていないでしょうか。出来るはずの機能もどこを触ったらよいかなかなか分からないし、標準で余計なお世話な機能が勝手に動いてくれて、それを外すことすらままなりません。
ワードを使いこなせれば、本当に便利です。定型的な設定を全てスタイルに登録すれば、文章を書くことに集中することが出来ます。しかし、それは機能を全て使いこなせた場合のこと。
現実に起きていることはその逆で、思考が邪魔されるような余計な動作が多すぎるのに、それを理解する手間がかかりすぎるのです。

これは使いこなせない私の問題であるのかもしれません。
しかし、ワードの使い勝手が悪いからかもしれません。そもそも、いろいろな使われ方をするのに、それを一律一つのソフトで解決しようとするのがいけないのかもしれません。
パソコン化、IT化には、常に「使い方を覚える」という作業が付きまといます。それもバージョンが変わると、使い勝手が変わったりします。そうやって私たちは年がら年中、使い方を覚える日々を暮らさねばなりません。

家電も同じ。多機能になったおかげで、使いこなすのにとても苦労します。たかだか、時計を買っても、ラジカセを買っても、思うように動かせないのはかなり腹立たしい。
それは決して、私たちだけの問題ではなく、すぐに使うことができないような操作仕様になっているメーカーの責任でもあると思います。(結局自分の身に降りかかる)

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