2009年10月12日月曜日

我流、指揮法 ─ 制御する感じ

あまり、日々の出来事を書かないブログですが、たまにはネタ振りのために書いてみましょう。
昨日、静岡県の国民文化祭の練習が伊豆でありました。松下耕氏への委嘱作品を、県内の寄せ集め合唱団でオケ版で初演する予定ですが、昨日は初めてのオケ合わせの練習。
残念ながら昨日はテンポ合わせに終始する結果に。指導する松下耕さんもやや苛立っているように感じました。何とか、本番までにはうまく合うようになればいいのですが・・・

上記の合唱団は全体的に年配の方が多く、しかも合同練習の回数が少ないので、必ずしも音楽的な機動性が高くはありません。このような合唱団での練習は往々にして数をこなして、頭に叩き込むという練習になりがちです。
昨日の練習においては、本番の指揮者&オーケストラ伴奏で、日頃聞き慣れない音響と、テンポ感についていけなかったというのが真相でしょう。
ですから、本質的にこの問題は、演奏者の現場での柔軟性が問われているわけです。そしてそういった柔軟性とは、反復練習で頭に叩き込むやり方と一線を画すものでもあります。

演奏者が指揮に追従できる柔軟性を持つにはどうしたら良いでしょう?
指導者は反復練習で歌えるようになる、ということに甘えてはいけないと思います。常に、指揮者が団の音楽全体を掌握し、歌い手が指揮を見ずにはいられない状況を作らねばなりません。
演奏者が指揮者を見ないのは、見るに値しない指揮をしているからかもしれません。
指揮が常に音楽全体を掌握し、制御している感じを醸し出さないと、演奏者は指揮者を単にキュー出し係としか思わなくなるでしょう。

そのためには、テンポ感はもちもろんのこと、各パートの出だし指示、フェルマータの入りと切り、リタルダンドの分割、パウゼを止める時間、こういったもの全体に細やかな配慮と、決然とした明瞭な指示が必要です。
細かい指示が不明瞭だと、いつか演奏者は指揮者を見なくなります。
指導に関わったものとして自戒の念も込めつつ、昨日はそんなことを感じていました・・・

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