2012年5月19日土曜日

制作としての音楽

音楽が二極化し、オーディオデータを楽しむということと、生演奏を楽しむということの二つの方向性に分かれていくだろうという話の続き。
とはいえ、多くの人はオーディオ(あるいは動画)を楽しむだろうし、生演奏している様子もデータ化されるわけですから、音楽を楽しむメインの活動はやはりオーディオを聞くことです。

聞かれるために作成されるオーディオも、生演奏を録画したものと、専用に制作されたものに分けられます。
生演奏を録画する方向については生演奏をいかに上手く録音録画するか、ということがもっと民生レベルでいい方向に向かっていくとは思いますが、何といっても、制作としての音楽がこれから益々大きな存在感を示すのではないかと私は考えます。

私自身、昔から音楽制作するのが好きな性分でした。
現実には楽譜を書くことそのものが中心になってから、制作することはなくなりましたが、今でも制作する人の気持ちは分かるつもりでいます。
もちろんこの世界もトレンドがどんどん変わっていきますから、今では私の思いもよらぬような便利で面白い方法があるのかもしれません。

そもそも音楽を制作するというのは、どういった行為なのでしょう?
まったくここに音楽が無いところから音楽を作り出すわけですから、それは詩や小説を書いたり、イラスト・絵を描いたり、動画制作をしたりといった創作活動とモチベーションとしては全く同じことです。
ただし、詩や小説なら、コンピュータを立ち上げ、いきなりワープロアプリで文章を書いて、保存すれば作品が出来ることは想像出来ます。しかし、何も分からない人にとって、音楽の場合具体的に何をしたら良いか想像が難しいかもしれません。

それは何故かと考えていくと、文章は文字を入力すれば成り立つのですが、音楽の場合、文字のような記号化された単位みたいなものが確立していないからだと思えます。
音楽を構成したり表現したりする最小単位の記号を、仮に「音楽素」という言葉で表現してみます。
一番分かり易い音楽素は、数秒で構成される音楽のオーディオのフレーズです。このようなフレーズ型音楽素を組み合わせることによって、ブロックを積み上げるように音楽を作っていくという考え方もあり得ます。
ただ、想像すれば分かるとおり、各フレーズのリズムやテンポが一致していないとなかなかブロックが積上らないし、そのフレーズ自体をゼロから作り出したいという欲求に答えることが出来ません。

旧来から、電子楽器の音楽素としてMIDIという記号が使われていました。
これはまさに小説における文字と同じで、音楽における演奏情報という言い方ができます。ところが、MIDIはそれだけの可能性があるにも関わらず、健全な発展をしなかったように思います。例えば、MIDIは通信フォーマットの十六進数をそのまま一般ユーザーが扱わなければいけないという代物です。そのような状況になっているのは、MIDIを扱う人は専門的な人たちだけだと、それを扱う人たちが勝手に思い込んでしまったせいだと思います。

しかし音楽を制作する場合、このMIDIをうまく扱えば、本当に自在な音楽が作れます。
今は多くの人がMIDIを嫌うため、オーディオベース(フレーズ型)の音楽制作ツールが一般的ですが、もう一度MIDIを見直すことによって、もっと自由度が高くかつ制作も容易な環境が出来ていくと思います。

そんなわけで、一般からすれば音楽を制作することに対する敷居が高いのが現状です。
もう一度、多くの人が分かり易いような音楽素、音楽制作の記号化、が進むことによって、音楽制作プロセスが一般化するような方向性を我々技術者が考えねばいけないと私は思っているところです。

0 件のコメント:

コメントを投稿