2012年5月22日火曜日

誰でも音楽が作れる時代

詩や小説を書いたり、絵やイラストを描いたりするように、音楽好きの人が自分だけの音楽を自力で作れるような時代がやってきつつあります。

私は楽器メーカーにいるので、例えば楽器の新しい機能に何があったらいいか、といったようなブレストの折に「思い付いたメロディを楽譜にしてくれる」とか「メロディに勝手にコードを付けてくれる」とか「最適な伴奏を付けてくれる」というようなアイデアを出す人が出てきます。
まあ音楽理論的には突っ込みどころが多いので実現も難しいでしょうが、そもそも日常的に曲を作る人に言わせれば、そのようなものは作曲行為を冒涜するような機能であり、おおよそ役に立つものにならないことは私には明白なのです。まぁ角が立つので、そうは言いませんが。

これを小説、イラストなどに適用してみればそのおかしさが分かると思います。
「季節や場所を設定するだけで、情景を描写してくれる文章を出力してくれる」「登場人物の性格を設定しただけで、会話文を自動生成してくれる」「輪郭を書いただけで色を勝手に付けてくれる」「描きたいものを決めただけでネットから自動的に画像を拾い出してくれる」・・・そんなワープロや、お絵描きアプリが欲しいでしょうか。


その一方、音楽を作る方法がどんどん簡単になっていくのは個人的にはとてもいいことだと思っています。
そうやってたくさんの人に作曲をしてもらいたいし、世の中にたくさんの質の低い音楽が溢れて欲しい。そしてその質の低さに容赦無い批評が与えられて欲しいです。その結果、作った人にはつまらない曲を作ったことを後悔して欲しいし、それで成長するか、挫折するかして欲しいのです。
表現するためには、絶えざる向上心を持ち続けることが必要です。私の見るところ、多くの方にはそういうメンタリティは無いものです。芸術家というのは、誰にも頼まれないのに向上心だけがめらめらと燃えているような性向を持っている人のことです。無から有を生み出すその心的パワーこそがクリエーターの活力の源泉なのです。

ツールがどんどん向上し、モノを作る作業が効率化すればするほど、人間の能力が丸裸になっていきます。
音楽の場合、一般的に音楽活動は楽器を弾くことと共にあり、たまたまいい楽器を持っていた人がいい音楽をやれる環境にあったりとか、近くに素晴らしい音楽家がいて薫陶を受けたとか、家庭環境のせいで音楽にのめり込んだとか、楽器を弾けるといった要素が作曲行為においてもこれまでは重要でした。
しかし今では、楽器を弾けなくても、ちょっと理論をかじるだけで相応の音楽を作ることは可能になってきています。そうなったときにその音楽を作った人のセンスが作品にそのまま投影されます。こういうことが普通になっていけばいくほど、本当の音楽の価値とか、本当のクリエーターの価値とか、そういう音楽の本質が問われるようになってくると私は思うのです。

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