2012年5月26日土曜日

生演奏としての音楽

音楽の活動が二極化し、メインはオーディオ鑑賞という方向にはなっていくでしょうが、やはりホールやライブ会場に出向いて生演奏、コンサートを聴く、という音楽の楽しみは無くならないでしょう。

それはちょっと前にも書いたように、テレビや映画でなく、演劇を見たりする行為とほぼ同じような意味を持ちます。
細部がクローズアップ出来るテレビや映画では、むしろ日常の一コマにようなさりげない演技をどのように映画のフレームに収めるか、という作る側のテクニックが重要になりますが、演劇では俳優がお客に伝えるための技術がほぼ全てで、演技するという行為そのものが鑑賞の醍醐味になるはずです。

全く同様に、音楽制作では曲や詩の工夫、音色、音響的な工夫が重要だけれど、生演奏では歌ったり楽器を弾いたりすることがメインです。
ですから、まず第一に歌がうまくなければいけないし、楽器演奏がうまくなければいけません。あるいは舞台にその人が立っているだけで人を魅了出来るオーラとか、存在感みたいなものが重要です。
そこで必要とされるスキルは音楽制作とはやはり相当異なります。

演奏会を聞いていると、これはオーディオ鑑賞では絶対感じられないと思うようなゾクゾクする演奏に出会うことがあります。
なぜそのような体験はオーディオ鑑賞を凌駕するのでしょうか。

一つには、単純に音の環境の違いがあると思います。オーディオ鑑賞は部屋でスピーカーで聞くか、ヘッドフォンステレオで聞きます。どうしても日常の雑音があるので、ダイナミックレンジの広い音楽を聞くのには適しません。大きな音を出すのも大変です。
生演奏では、特にクラシック音楽の場合、ホールという静音環境に閉じ込められるので、そこにいるという緊張感と、そこで繰り広げられる音楽のダイナミックレンジの広さはオーディオ環境ではやはり得られないものです。

もう一つは、インタラクティブ性とでもいうべきもの。聴衆とのやり取りによるその場限りの体験ということです。ライブが完全に予定調和に終わる場合はそういう要素が少ないですが、例えばMCをしているときのアーティストの感じとかは、その場のノリというものに支配されることでしょう。ジャズではインプロビゼーションがどの程度盛り上がったり、長くなったりするかはその場のノリで決まることも多いと思います。
特にエンターテインメント性の高い音楽では、こういったインタラクティブな要素があるほどお客さんの満足度は高まるものと思います。

後はやはり、非人間的なテクニックを同じ場所で直接見れるということでしょうか。
確かに演奏テクニックはビデオ再生でも楽しむことが出来ますが、その場にいることによって、そのスゴさは完全にリアルなものになります。
あまり大きなホールだと、奏者が遠くなり過ぎリアルさは減りますが、目の前でとんでもない演奏テクニックを堪能出来れば、それはビデオ再生で見るよりは感動するに違いありません。

とはいえ、本当に生演奏、ライブを聞きに行きたいと思う人はやはりそれほど多くはありません。
そこそこチケットの値段も高いですから、そこに集まる人たちはそれなりに意識の高い人たちです。というか、これからはその傾向がどんどん強まるような気がします。
そうなると、お客を楽しませられないアーティストは淘汰されていくでしょう。
そして、本当に音楽の実力が高いアーティストがきちんと残っていくことになるのではないでしょうか。

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