2011年11月1日火曜日

楽器を作るということ─私が欲しかった楽器

自分が欲しいモノを作る、というのが物作りのスタートであると考えます。
じゃあ、私が欲しかった物ってなんだろう、と振り返ってみると、これはなかなかの難題です。
すでに作る側に立ってしまった者は、冷静に自分の欲しい物を想像することが出来ません。なぜなら、この市場についてあまりに多くのことを知りすぎてしまったからです。

私の大学時代、シンセサイザーはすごくカッコいい商品でした。
ハイテク製品を使いこなしながら、芸術活動を行うっていうことが、私の感性にはまりまくったわけです。実際に手にしたYAMAHA DX7は、いろいろな音を出すことが出来たけれど、実は私にはオリジナルの音作りはほとんど出来ませんでした。FMの音作りはあまりに難しく、思った通りにいかなかったのです。
思えば、あの頃からデジタルシンセサイザーの限界があったのかもしれません。うまく使いこなせなかったのは私だけではないと思うからです。でも、使いこなせないなんて、恥ずかしくて言えない。いくつかのFM音源のキーワードを覚えただけで使えたような気になっていた、というのが実態なのかもしれません。

そうこうしているうちに巷で流れている音楽が、もはや生演奏なのか、完全打ち込みなのか分からなくなってきて、演奏することの楽しみ、というのが希薄になってきたような気がします。
そして、芸術家になりたいという甘い欲望に囚われた凡人たちによって、不思議な音楽製作ワールドが拡がっているのが今の時代なのではないかと思います。言ってみれば、私はそのはしりだったわけです。

私のような人間をサポートする道具は、すでにPCアプリとしてごまんと揃っています。
しかし、何度か書いたようにそれは恐らく楽器では無く、もはやプログラミングツールとでもいうべきものです。昔は楽器を買って、テープレコーダーに録音しなければ音楽製作できませんでした。楽器を弾けなければ音楽を作れませんでした。
なんと、今では楽器を弾けなくても音楽が作れてしまうのです!
そんな恐ろしい時代を私たちは迎えています。そんな時代にどんな楽器が売れるかなんて、想像出来るわけがありません。

でも、一方で電子ピアノを買う時に、大して違いが分からないのに、より良い鍵盤を使っていたり、音源性能が高かったりするものを欲しくなったりします。
それは、確かにテレビを買う時に、分かりもしないのに○○機能搭載とか、○○性大幅向上とか、言う言葉に惑わされているのとそう変わらない心境。
実際、実物を見てもその違いはほとんど分からないし、仮に分かったとしても買ってしまったあとはもうどうでもいい価値だったりする。
そういう曖昧な物に振り回されている一消費者の自分がいます。

何だか取り留めがないけれど・・・、自分が欲しかった楽器、というのはあるようで無かったのかもしれません。もしかして、これから探すべきなのは、自分が欲しいと思う楽器とは何か?・・・に対する答えなのかもしれません。

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