2011年4月2日土曜日

楽譜を読むー父の唄(その1)

今年の合唱コンクール課題曲となっている、高嶋みどり作曲の「父の唄」をウチでも現在練習しています。私なりにこの作品の内容について、楽譜から読み取れることを何回かに分けて書いてみようと思います。

まず最初は、音楽の話ではなくて詩のこと。
この作品は組曲の中の一つということで、私は残念ながら組曲の全作品を見たことは無いのですが、出版社の売り文句などから察するに若者向けの合唱作品に思えます。
今回のこの「父の唄」に限定して考えたとき、この作品は本来、誰が歌うべき(誰が歌うことを想定すべき)作品なのかを少し考えてみたいのです。

この曲の詩の内容は父が自分の息子に対して、「おれを越えてゆけ」と語りかけるもの。
当の父親からすれば気恥ずかしくて直接言葉として言えないけれど、でも、心の中で「少なくとも自分よりは立派な人生を送るよう頑張れよ!」と思う気持ちをとてもうまく代弁した、父の世代なら誰でも思いうる感覚。それを平易に、力強い言葉にしたという意味で、さすが谷川俊太郎、と思わせる詩です。
この詩を読んで最も強くその感受性に訴えかけ、そして影響を受けて欲しい人は、他ならない父からのメッセージを受け取る若者です。若者がこの詩を味わうことが、恥ずかしくて直接言えない父の想いを想像することに繋がり、若者へのメッセージとして強力に作用します。
従って、この作品を歌うことを通して、この詩を鑑賞する、ということは教育的観点からすれば非常に理にかなっています。若い世代は、この曲を歌うことと同時に、この詩を鑑賞する主体でもあるのです。

ところが、もう少し視点を広げて考えてみたとき、この作品を聴いている聴衆はどういう立場になるのか、という問題が生じます。
詩を鑑賞している若者をさらに鑑賞している聴衆、とは一体どんな存在なのでしょうか?
子供のピアノの発表会をハラハラドキドキしてみている親の心境? しかし、自分の子供でなければ、ほとんどそんなことを感じる筋合いはありません。
作品が何かを聴衆に伝えるために書かれるのだとすれば、本来この作品の聴衆がこの詩を鑑賞する若者だと考える方が正統的に思えます。つまり、この作品を歌う側は、むしろ若者に気持ちを伝えたい親の立場である、ということになります。

まあ、そんなことどうでもいいじゃん、と思われるかもしれません。
しかし、それは違う、と私は声を大にして言わなければなりません。私たちはこの曲を練習している間、人に聴かせる際にどのようにこの曲の内容を訴えていくかを考えていきます。その際、私たちはこの作品に使われているテキストを、どのような立場で訴えていくかが明確でないと、訴え方も明瞭にならないのです。
ここから先は、各団体、指導者がそれぞれの考え方で曲作りをすれば良いでしょう。音楽の解釈に正解はないのですから。ただし、正解は無いけど、センスの善し悪しはあります。

いずれにしろ、この作品を歌う際、歌う側は詩を鑑賞する若い立場なのか、詩の内容を訴える父の立場なのか、何らかの指針は必要だろうと考えます。(必ずしも二者択一というわけではありません)

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