2011年4月30日土曜日

ウェブ×ソーシャル×アメリカ<全球時代>の構想力/池田純一

特に予定のないGWに読もうと思って買った本その1(って書くとその2がありそうだが、それは分からない)。
帯には「Google,Apple,Facebook,Twitterはなぜアメリカで生まれたのか?」と書いてあります。ウェブの世界で起こっていることを読み解きながら、その背景にあるアメリカ文化について探りつつ、今後のウェブ世界の有り様を考えてみる、というのが本書のスタンス。
著者については私は知らなかったのですが、非常に硬派な内容で、やや学術書に足を踏み入れるくらい洞察が深く、また本質を追究しようとしていて大変好感を覚えました。そのためかやや難解というか、抽象的過ぎる文章もありましたが、総じていえば自分自身が何となくもやもやと思っていたことを、とてもうまく(しかもさり気なく)言語化していて、それだけで感動しました。

冒頭IT世界の有名人、スティーブ・ジョブス、エリック・シュミットの二人を引き合いに出し、二人が作りたかったものが達成されつつある現在(iPad、クラウドコンピューティング)、これからの何十年を占う新しい夢が必要だと主張します。そして、それが例えばFacebookのザッカーバーグのような若い世代が担うだろうという本書の流れを作っています。
では、そのジョブス、シュミットの二人が作りたかったものの源流は何かというと、それが60年代のカウンターカルチャーに遡れるのではないか、という考察。そして当時のカウンターカルチャーとは何だったのか、という解説が続きます。

このカウンターカルチャーを語る際の重要な登場人物がスチュアート・ブランド。
彼はジョブスにも大きく影響を与えた、"Whole Earth Catalog(WEC)"という雑誌を創刊した人物。このWECとは、ヒッピー文化を信仰する若者向けの生活に必要な各種ツールを紹介するカタログ誌。しかし、ツールといっても具体的なモノだけでなく、ノウハウや情報など広範な内容であり、またそうしたツール群に対するレビューも多数掲載されたのでした。つまり、WECは単なるモノの紹介だけでなく、同じ嗜好を持つ人々が集まる場であり、動的なシステム理論の社会的実践としてブランドは捉えていたのです。
WECは西海岸の複数のコミュニティ、つまりアート系、サイエンス・テクノロジー系、それらの間を行き交うジャーナリスト・ライター系の人々を結びつけました。そしてWECは72年に全米図書賞を受賞しています。もちろん、この雑誌の思想がその後のコンピュータ技術の発展の文化的背景になったというわけです。

しかし著者は、カウンターカルチャーだけがコンピュータ・ウェブ世界の背景になったのではなく、さらに遡ってアメリカがその源流に持っている文化が大きく作用しているのではないかと考えます。このあたりのアメリカ文化論は、私は詳しくないですからとても勉強になりました。我々は一括りに欧米というけれど、ヨーロッパと確実に違うアメリカ的なものが何となく分かってきました。

後半の7章から9章までは、今後のウェブ世界を俯瞰するのに重要な概念がいくつも現れます。
このあたりを読むだけでも本書の価値は十分ありです。特に、ウェブはビジネスの世界だけでしか語られないことが多いのですが、ビジネスとは呼べない領域までウェブの持つ特性を解析しています。
まずウェブで行われる活動、及びそこで生成される集団が、どのような特性を持つのか、アメリカ的なものの考察から推理します。そしてアメリカ発の技術や会社がウェブを形作ったように、アメリカ的な組織のあり方が今後のウェブ世界を先導するのに必要だと訴えます。さらにその活動が全球的、つまり全世界的、全地球的な規模のものであることを示唆します。
それから機械と人間との共生について考え、ソーシャルな方向にウェブが向かうことにより、政治、デモクラシーへの影響を示唆します。ウェブでの活動が政治活動になり得るわけです。
また、ウェブ技術はエコ運動の高まりからスマートグリッドや、交通網への応用など新しい技術との結びつきなども考えられ、より広範囲な生活への影響が考えられます。

内容は多岐にわたるので、俯瞰的に本書の内容を伝えるのは難しいのですが、ウェブによって私たちの生活はこれからも益々劇的に変わりうることを実感しました。
前回私が書いた「世界がプログラムで埋め尽くされる日」のようなプログラム全能感は、ますます私の中で強固になり、そして私が考えている以上の力を秘めているような気がしてきました。

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