2010年9月4日土曜日

指揮者への共感をもたらすもの

指揮者の魅力には、音楽的魅力、人格的魅力がある、というようなことを書きました。しかし、その二つの境界は曖昧です。例えば、音楽に対する態度とかは、音楽的魅力とも言えるし、人格的魅力の範疇にも入ります。
結局のところ、指揮者に対して好意的な感情を持つということは、歌い手がいかに共感できるか、あるいは刺激を受けたか、ということなのでしょう。では、練習のどのような局面で共感するか、刺激を受けるか、思い付くままに挙げてみたいと思います。

●音楽を極める、ということは崇高な行為であるという態度
これって個人的にすごく重要。場合によっては過剰な厳しさに発展しがちですが、優しい言い方でも十分に伝えることは可能だと思います。
つまり、我々が目指すべきものは非常に高いところにあり、自分たちの現状はそれからほど遠いことを仄めかします。音楽とは一生かかっても決して極めることは出来ない、というような崇高さ、音楽の理想を常に語りながら、その遥か遠い高みに少しずつでも近づいていこう、と歌い手に感じさせるということです。
私は練習における高圧的な態度は嫌いですが、このような高い理想を感じさせてくれる人には尊敬の念を感じます。遥か遠い理想を掲げることで、歌い手にモチベーションを与えることは指揮者の重要な役割ではないでしょうか。

●音楽的能力の高さ
言うまでもないことですが、音楽的能力の高さは指揮者の価値を高めます。
声楽家の場合、歌のうまさ、ということもあるのでしょうが、むしろ指揮者に必要な能力とはソルフェージュの確かさと音楽的な指示の効率の高さです。
例えば、ピアノが上手であるというのはシンプルですが、割と重要な要素。
それから、初見力。全パートへの指示を出すのですから、その場ですぐに各パートを歌えたほうが良いし、そもそも正しい音がわからなければ、合っているか、間違っているかの指摘も出来ません。間違っている音を放置する、というのは指揮者の信頼度を大きく損なうことになります。
もちろん指揮者ですから、指揮の的確さ、というのもあります。入りが明確に示せなかったり、リタルダンドの分割が不明瞭だったりすると歌い手もイライラします。残念ながら、かなり高名な指揮者でもこの辺りが怪しい人は多いです。前回の指揮者類型で言うなら、バリバリアカデミック指揮者の安定感は抜群で、やはりこういう方々の基本的素養の確かさには敬服します。

●本場の知識
これも正直言えば、留学経験のある人が圧倒的有利。
西洋音楽をやるのなら、言語や、発音への造詣の深さは指導者への信頼度を高めるでしょう。また、教会音楽における典礼の知識とか、本場の典礼の雰囲気とか、そこでしか感じられない空気感は、書物の勉強だけでは不可能な場合もあります。そういう経験を聞けるのは歌い手には単純に楽しいものです。
また、ルネサンスやバロック独特のアーティキュレーションなども、古楽の本場の経験のある方の指導はとても為になりますね。

●作曲家の視点で語る
音楽は崇高なものである、ということを語る反面、あまりにも遠い存在になりがちな作曲家を身近な存在に感じさせる、というのも大事な要素だと思います。現代の作曲家でない場合、上記の知識という側面もありますが、それでも例えばバッハ、ベートーヴェン、モーツァルトを単に偉大な作曲家として持ち上げるだけでなく、彼らの人間臭さなどを語ることによって、より歌い手が感情移入し易い状況が作れるのではないかと思うのです。
また、曲中の指示を歌い手に示す時も、作曲家はこのように考えたからこのような指示になっている、というような理由を示されると指示に説得力が増します。その指示が、単に指揮者の好みではなく、作曲家が考えたことなのだという権威付けをするということです。
もちろん、そのためにはたくさんの書物を読んだり、楽譜を見たり、合唱だけでなくオーケストラ音楽も参照したり、といった幅広い勉強が必要です。そういうバックボーンが無ければ、作曲者の想いを汲み取ることも難しくなるからです。

他にもまだありそうですが、とりあえずこんなところで。

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