2010年9月8日水曜日

Twitterの続け方

夏休みの暇つぶしに(?)自分でもつぶやき始めたわけですが、早くも失速気味。
まあ、いずれにしてもやってみなけりゃ分からないこともあって、Twitterというサービスの面白さと同時に危うさ、怪しさも感じたりしています。

基本的なアイデアがシンプルなため、応用範囲が広く、使い方を特定することが出来ないという印象。有名人の日常がわかるとか、友達の連絡に使えるとか、趣味の仲間の繋がりが作れるとか、最新情報を手早く伝えるとか、そういった使い道がいくらでも考えられ、一括りに何に使うかという表現が難しい。
テレビではビジネスで活用し始めたり、ボランティア活動のきっかけになったり、社会的なツールとして機能しているといった例も報道されています。
しかし、当然ではあるのですが、メディアの紹介ではそういった良い面が強調され過ぎるきらいがあります。実際にはTwitterに費やす時間と、そこから得られる情報の質から考えると、決して利用効果は高くないのかもしれません。

Twitterの斬新なところは、相互関係の非対称性を前提にしたところだと考えています。
多くのSNSでは、お互いに友人の契りを結び、ネット上で対等な関係となる仕組みがほとんど。しかしTwitterでは、人と人の繋がりが一方向で、双方向が前提ではありません。だから、有名人はたくさんのfollowがついても、一人一人に相手をする必要も無いし、むしろfollow数が人気のバロメータにもなるわけです。
それはある種、非情なメディアとも言えます。もちろんTwitterとの関わり具合にもよるけれど、自分という人間のあり方をfollow/followerの人数が示してしまうからです。だから、ハマればハマるほど、follow数を増やすために、多くの人をfollowし、時には返信しながら大量の時間を費やすことになるのでは、と想像します。

バリバリやっている人から見れば、バカみたいなことを言っているように思われるかもしれないけど、私としては20程度のfollowでも暇なときに見続けるのが精一杯(まあ、無茶苦茶つぶやき数の多い有名人とか外せばいいのだけど)。100を超える人って、どの程度見ているんだろう、というのはささやかな疑問。
私から見ると、followされたら必ずfollow返しするのが当然という感覚は、Twitterの基本的思想と違うような気もします。全部見ないことが前提なら、followなんてしても仕方ない、と思うのは私の考えがドライ過ぎるのでしょうか。それとも、頑張ってみんなのつぶやきを全部追っているのかなぁ。

まあ、私のことですから、つかず離れずにダラダラやりながら、特に自分のfollow数を増やす努力もせず、自分に必要だと思う発言をする人だけをfollowするというスタンスで続けたいと思います。
つぶやく、ということも一つの自己表現であり、Twitterで発言することも、自分にとっては創造的活動の一つだと思っています。時に日常の様子を書きながらも、内容の面白さを追求したいとは密かに考えています。

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