2010年8月22日日曜日

指揮者と合唱団の関係

まあ合唱団が人の集まりである以上、人間関係に関する問題はどこでも起きうる話ですが、ここでは特に指揮者と団員との関係について考察してみたいと思います。
特にアマチュア合唱団において、指揮者とはどんな役割を持っているのでしょう。当たり前ですが、合唱団の音楽的特徴を一手に握るわけですから、団の魅力の多くは指揮者に負うものが最も大きいはず。人によっては、指揮者の魅力そのものにそれほど価値を感じない人もいるだろうし、地方の場合、合唱団に選択の余地がないといった事情もあるかと思います。それでも、練習の面白さ、歌う楽しさの多くは指揮者に依存しているはずです。

指揮者の魅力とは何か、と考えたとき、一つには音楽的、芸術的な魅力であり、もう一つは人格的な魅力だと思います。まあ、見た目というのもあるかなぁ。
しかし、上記の二つの魅力は実は渾然一体を成していて、どこからが音楽的な魅力か、どこからが人格的な魅力かと分けることは難しいもの。私の見るところ、多くの人が人格的魅力を、音楽的魅力と解しているように見えます。具体例は挙げづらいんですが、ある指揮者を信仰している人は「あの人の音楽は素晴らしい」とたいてい言うでしょう。しかし、端から見ると実際はカリスマ的な振る舞いとか、親分肌的な性格に心酔しているようにも見えます。

それは結局、合唱団員一人一人の音楽観、人生観の反映でもあります。
私自身はちょっと苦手なのだけれど、中学、高校の合唱部などで顧問の先生をヒエラルキーの頂点とした、体育会系的な厳格な上下関係と、とにかくやれ的な圧力、しかし(音楽そのものより)そういった努力こそ美しいものと考えるようなノリってありますよね。テレビ番組なんかでもそういう部活特集も多いし。
このノリを意外と引きずっている人も多いです。自分が若い頃薫陶を受けた師匠をすべて基準にしていて、たいていの場合師匠は美化されているので、どの合唱団に行っても過去の体験を凌駕できない、と思ったりします。こういう人は、今の練習にもピリッとした規律や厳しさを求めます。

一方、そういうことと全く無縁に、毎週歌を歌いに来ることがシンプルに楽しいという方もいます。そういう人は自分が楽しめることを最優先事項とするので、楽しめない練習、には抵抗を示します。
むしろ厳しさよりも、学ぶ楽しさ、うまくなる楽しさ、が大事で、それを実感できるような練習である必要があります。こういう人にとって個人の吊るし上げなど最悪の練習法です。

上記は合唱団のタイプにもよります。厳しさ重視と楽しさ重視、と簡便に言うのなら、若い合唱団と実績のある指揮者なら厳しさ重視になるだろうし、地方の市民合唱団なら楽しさ重視となるでしょう。
率直に言えば、コンクールなどを見る限り厳しいほうが上手いことが多いです。ただ私が指揮をする場合は、練習での楽しさを忘れないように努力をしているつもりですし、そもそも厳しさはあまり似合いそうもありません。

2 件のコメント:

  1. なのるほどのものでは2010年8月26日 20:25

    私はアマチュア管弦楽団の一団員ですが、指揮者と団との関係について、いつも思い悩みます。
    私が指揮者に求めていることは、結局のところ音楽的な刺激じゃないかと思っています。
    音楽的な刺激を与え続けられると、自然と音が指揮者に集まるんじゃないかと…他力本願すぎるかもしれませんけれど(^^ゞ
    厳しくすることと、楽しくすることは違う方向のようで同じ方向のようで、なんだか難しいです。
    「叱られる・怒られる=楽しくない」の図式はわかりやすいとしても、だからといって出来ないこと放置すれば「上手になれない」けれどそれが楽しくないかといえば、上手になれなくても楽器を弾けたらそれで楽しい人もいれば、それではつまらない、上手になりたいという人もいて…
    上手になる楽しみを得るためには厳しさが必要で、その厳しさは本当は人から与えられるものではなく、自分自身が自分に課す厳しさ、なのですけれど、自分が自分に厳しくなるというのは本当に難しいことですね。
    だから指導者に厳しく叱ってもらって、上手になるという方法もあるのでしょうが、大人であるアマチュア奏者は、本当は自分で自分を律するべきなんじゃないかと思うと同時に、「叱られる・怒られる」とは違う方向での厳しさを指導者から表現される必要があるのかもしれない、と思うのです。
    それはもしかしたら「指揮者から要求されていることが現状できていない」という事実を明確にすること、なのかしらん…
    まとまりのないレスになってしまいましたが、このエントリでこういうことを考えました、ということです(^^ゞ

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  2. おぉ素晴らしいコメントありがとうございます。
    文面だけ見ると、厳しさを否定しているように思われそうですが、もちろんそうとは言い切れません。
    それはコメントにもあるように「自分で自分を律する厳しさ」を喚起するような厳しさなのでしょう。
    問題は、厳しさ=ただ怒って怖がらせる、みたいな指導に陥いることをどう防ぐかということ。アマチュアはすぐにそうなりやすいので。

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