2010年8月16日月曜日

歌と踊りのある生活2

さて、実際に書きたいことって実は、今回の方。
前回も言ったように私には踊りを楽しむ文化はありませんでした。そして、多くの日本人もまた同じではないかと思います。もちろん各地で行われる祭りとか盆踊りとかあるけれど、それって若者が熱中するような踊りとはちょっと違う感じ。
生活に根付いた踊りというのは、伝統だからやらねばならぬものでは無くて、もう何しろ踊りたい、という基本的な欲求によるものです。若者が夜の街でハチャメチャになって踊り狂いたい、とか思う気持ちとほぼ同じというべきか。

日本にそういう文化があまり根付いていない一方、世界を見るとむしろ生活に踊りが根付いているほうが一般的。例えば欧米の国々にはパーティ文化があり、パーティには必ず音楽と踊りの時間がある。それは社交ダンスのようなものだけでなく、流行歌の場合もあるし、地方の民謡の場合もあるし、DJのようなクラブミュージックという場合もあるでしょう。TPOによって踊りの種類が違うだけです。
欧米だけでなく、中東のアラブ系、インド、中南米、そしてアフリカといずれも歌と踊りが生活に根付いているように思います。人が集まれば、必ず生バンドが演奏し、それに合わせて皆が踊るわけです。

なぜ、そんなことを感じているかというと、私が仕事で関わっている電子キーボード類は、そのようなパーティの場で使われることが多いからです。例えば中東で音楽のプロというのは、CDをリリースしてコンサートを開くようなアーティストというよりは、結婚式や祭りなどのイベントでお金で雇われて演奏する音楽家のことです。バンドだけではなく、予算に応じてリズム内蔵の電子キーボード一台でも生演奏は可能です。左手でコードを指定するような楽器は日本では全く用途がありませんが、外国では非常に大きな需要があるのです。
もちろん彼らは単に黙々と楽器を弾くだけでなく、様子を見ながら曲調を変えたり、踊りを盛り上げるように扇動したり、歌を歌ったりと、その場のエンターテインメントの中心にいる人になります。演奏家に要求される才能は音楽だけではないのです。

そんなことをいろいろ考えてみると、我々日本人の音楽には踊りが足りない、と思います。もちろん、だからと言って「さあ,みんな踊ろうよ」などといっても浮くだけ。我々が音楽で踊るようになるには、欧米的なパーティ文化が根付く必要がまずあるように思います。
日本では居酒屋で宴会、というのが人が集まった時の楽しみ方ですが、この状態で踊るのは難しいし、もしやったらかなり迷惑。
残念ながらそういう意味では、日本人が踊るようになるのは一朝一夕では無理そう。まだまだ何十年もかかるのではないでしょうか。それまでは、我々は外国の歌と踊りの文化を羨望の眼差しで見つめるしかないのかもしれません。
それとも果敢に、率先して踊ってみますか。(私は無理そうです)

2 件のコメント:

  1. 先日行ってきたワルシャワで、まさにこれ実感しました。
    あちらの高校合唱団との交流パーティを、レストランで開催してもらったのですが、前半はそれぞれの持ち歌を披露しあっていました。そして途中からはCDから音楽が流れ、ディスコ(古い?)もといクラブ状態に。
    もうノリノリで…
    でも子供達(ほとんどが中高生)の中にはノれずに輪の外に出る子もたくさんいました。
    僕は…ここぞとばかりに踊ってきましたけど。
    踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら…

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  2. それを人に見せる側になると、やはり日本人では厳しそうです。

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