2010年6月5日土曜日

いま合唱がやるべきこと

たまにはコアな合唱の話題など。
昔から、どうやったら最高の合唱を作れるのか、それが自分の興味の終着点でした。もちろん、その想いは今でも変わらないつもりですが、やや自分の意識もここ数年で変わってきたように思います。簡単に言えば、世の中をより俯瞰的に見る意識が強くなってきました。今の世の中を語るときに、ビジネス的な側面、経済的な側面は欠かせません。結局、金が流れるところに人材も集まり、変化のダイナミズムが生じるからです。
一方理想的な芸術を追い求めようとするほど、理想が空回りする現実があります。私から見ると、多くのアヴァンギャルドが同様の側面を持っています。大衆的であっても、うまく芸術家の主張を織り込んで、あまねく多くの人に影響を与えることのほうが社会へのインパクトが大きいし、今の芸術はそういったジャンルが牽引しています。

やや話は変わって、GWに帰省した折、一人暮らしの母が公民館で合唱っぽいことをしていると聞いたのです。指導者の方をずいぶん褒めていて、それがまた練習に行きたいというモチベーションとなっているように感じました。
結局のところ、現状、合唱というのは芸術を突き詰める側面よりも、生涯学習であるとか、リタイアした人のコミュニティとしてとか、個々人の平凡な生活に色彩を与えるようなそういった側面のほうが世の中に求められている、と感じ始めています。
それは音楽形態としての合唱の弱点がそのままメリットになっているのです。具体的には、歌い手の独立性のなさであり、演奏技術への敷居の低さ(探求力の弱さ)です。つまり、合唱というのは老齢になって初めて音楽を始めようと思った人を快く受け容れるだけの包容力をもった演奏形態と言えるのです。

このようなことをつらつら考えていると、そもそも合唱のやるべきこととはなんぞや、ということに私の中で何となく変化が生じています。
今後、日本は凄まじいスピードで高齢化が進みます。今の高齢者は、昔の高齢者より確実に孤独です。そこにはなにがしかのコミュニティが必要とされています。合唱を今の世の中に当てはめようとしたとき、貯蓄率の高い高齢者に、このような場を提供していくことこそ、ビジネス的に正しい戦略のような気がするのです。

2 件のコメント:

  1. ご無沙汰してます(^^)
    まさにずっと歌嫌いだった私が、合唱を続けようと思った理由が「老後の楽しみのため」でした。
    少しでも長く演奏に参加できるように、老後の孤独を緩やかにするように、続けていこうと思っています(^^ゞ
    あ、貯金もしておかないと。

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  2. 福ちゃん、まあ、お久しぶりです。
    われわれ、老後というにはまだちょっと早いかとは思いますけど・・・、ここまでやってきたのだから、きっと歳を取ってもやっているのでしょうね。
    ところで、老人向けにはどんな合唱曲が良いのでしょうか?

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