2012年4月6日金曜日

音楽とはパフォーマンスである

J-POPから、ロック、ジャズ、クラシック、そして現代音楽まで俯瞰してみたとき、一言で音楽といってもとても一括りには出来ない幅の広さがあります。
単に楽器を使って音を鳴らせば音楽というのでしょうが、そもそもそういう括りで特定の芸術活動をひとまとめにしてはいけないのかもしれません。
とはいえ、舞台の上で音楽を演奏する、という行為にはある一定の共通点があることは確かなことだと思えます。

例えば、物音一つ立ててはいけない緊迫感の中で聞く音楽があります。
奏者の音楽観、世界観を全身で受け止め、一瞬たりとも気を抜いてはいけないような時間密度の高い音楽体験です。聴く側にも厳しい緊張を強いるのですが、内面に訴えるその力は、ときに強く心を揺さぶり、演奏後に深い感銘をもたらします。

しかし、世の中はそのような音楽ばかりではありません。
演奏会であったとしても、自らも身体を揺らしたりして、もっとリラックスして聞くことが出来、気持ちを高揚して人々を夢の世界に連れてってくれるパフォーマンスもあります。
没入感を高めるため、音量は上げられ、照明も暗くなったり派手な色を使ったり様々な工夫が凝らされます。舞台に立つ人の強力なカリスマ性は、観る者を一種の宗教的興奮にさせるのです。

これらは、いずれも周到な用意で準備された音楽をベースにしたパフォーマンスです。
どのような形であれ、観客は高額なお金を払って観るのですから、その様式に従った鑑賞態度を取るのは当たり前のこと。つまり聴衆さえ、そのパフォーマンスの共犯者であり、パフォーマンスの一部であると言えるでしょう。

しかるに音楽のプロでない者というのは、お客さんまで共犯にしてしまうようなパフォーマンスが出来ていないのです。
そもそも自分のパフォーマンスが上の例のどちら側に属するのかも明瞭ではないし、自分が望むパフォーマンス空間が自分で分かっていない可能性があります。

音楽の練習をしていると、アマチュアは自分たちが奏でている音楽そのものにしか目にいかないものですが、本来聴衆が求めているものは演奏者との一体感であり、それを感じさせるためのパフォーマンスなのです。
そのような自覚を持たないと、練習の意味も方向性も迷走してしまうのではないか、そんな気がします。

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