2012年4月21日土曜日

PCも携帯も無かった時代

気が付けば私も40代半ば。昔のことを考えてみると、やはり歳を取ったんだよなあと実感します。

自分の息子はまだ3歳前ですが、PCでYouTubeを見たり、iPhoneやDSのタッチパネルで遊んだりしています。
翻って自分のことを考えてみれば・・・私がPCに継続的に触れたのは、就職してからのこと。大学の研究室には置いてありましたが、もちろん個人用ではありませんでした。
携帯が一般化したのは90年代の後半。恐らく私が初めて買ったのは30歳頃でしょう。

そうやって考えてみると、物心ついた頃にすでにPCも携帯もあった今どきの新入社員とか、ましてや物心つく前から電子機器に囲まれている息子の環境などは、自分の経験からは思いもよらぬ状況であり、そこで形成されるモノゴトの考え方なども当然変わってしかるべきなのかもしれません。

私は、多感な学生時代、PCも携帯もなくどうやって生きていたのでしょう。
そう考えると不思議な感じがしてきます。今や、PCや携帯無しには生活もままなりません。そんなのは文明以前の世界に思えます。でも、確かに私が若かった時代にはそんなハイテク環境にはなかったのです。

PCが無かった時代、自分が見たり聞いたりすることが世界の全てでした。
ネットで会ったことも無い誰かの生活を知ることも無かったし、自分の考えをネットで書くなんてことも無かった。
何かを伝えたくても、家に電話をかけるしかなかったし、もちろん電話をかけても家にいるとは限りません。女の子の家に電話をかければ、まず必ず親が電話に出てきます。長電話すれば家の人にも迷惑がかかるし、家族にも「いまの人、誰なの」みたいな詮索をされることもあったでしょう。

私たちの世代は知らないうちにそういう時代の常識が刷り込まれていて、それが若い人たちとの意識のギャップになっているのかもしれないと思ったりします。
何かを伝えるためにそれ以前のことで苦労した時代。しかし、物理的に他人に伝えることがいとも簡単にできるようになった現代。
私は昔は良かったなどと言う気はありません。正直言って、今のほうが断然面白い。それでも、PCも携帯も無かった時代に自分は生きていたということは、これからの人生においても何かしら影響を与えるのではないかと感じます。

2 件のコメント:

  1. ペトリューシカ2012年4月26日 20:39

    合唱、大好きです。
    バッハの「マタイ受難曲」、フォーレの「レクイエム」、どちらをいつか来る自身の葬式に流してもらおうか迷っています。

    長男の通う東京大学の院生の古市憲寿さんが「絶望の国の幸福な若者たち」で同じようなことを書いていますね。


    http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120412/305443/?ST=career&P=1

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  2. ペトリューシカさん、コメントありがとうございます。
    常識はそうやって少しずつ変わっていくものなのでしょう。
    あまり昔を懐かしまないように努めています。

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