2012年2月25日土曜日

意地悪な鑑賞法 その1


他人の演奏から学ぶべきことは多い、とは言うけれど、単に「上手かったね」という感想を持つだけでは学ぶことも少ないのではと思います。例えば、合唱祭のような玉石混淆状態であっても、様々な演奏からその合唱団の雰囲気や内情を察することは可能だし、そういうところから他山の石となるように学ぶべき点もあるのではないでしょうか。

実際の演奏の善し悪しから、その音楽の中身について良かったか悪かったか論じるだけでなく、合唱団がステージ上に現れてから消えるまでの様子をつぶさに観察することによって、合唱団がどのような雰囲気なのか、どのように内部統制を行なっているのか、指揮者と団員の関係とか、普段指揮者がどのような指示をだしているのか、とかそういうことを想像してみるのは面白いことです。
いくつか例を挙げて考えてみましょう。ただし、以下はあくまで一般論なので、特定のどこかの団のことではありませんよ!

まずは指揮者です。指揮者は本人が望む望まないに関わらず全身から音楽性が漏れ出てしまいます。
どのような振り方をしているかを見るだけで、指揮者だけでなく合唱団内のいろいろな状況を察することが可能だと思います。
例えば、ピアノ伴奏がある場合、どう聴いても音楽の主導権をピアノ伴奏者が握っているような演奏をみかけます。これは、フレーズの入りや、テンポの変化の様子を見れば分かります。明らかに指揮者の指示があまいと伴奏者が好きに音楽を作り出します。指示があまい指揮者はそもそも音楽を統率できていないので、その伴奏に合わせて指揮をするようになります。
ところが、自分で全て統制したいと思っている指揮者の元では、伴奏者は必死に指揮者を見つめ、特にフレーズの開始、テンポの変化では一生懸命食らいついていこうとします。
これは、演奏を見れば上記のどちらの状態か一目瞭然であり、まずその点において、指揮者の力量が計れるのと同時に日頃の団の練習の雰囲気も推し量れます。

ピアノ伴奏者が音楽を主導するような団では、たいてい指揮者は高齢者で、また団員も高齢であることは多いです。それほど難しくない曲を演奏しているのであれば、生涯学習的なサークルとしての側面が強い団と言えそうです。
たまに20〜30年前に流行った往年の名曲を大振りで演奏されている団体もあり、微笑ましくは思うものの、率直に言ってそういう団では音楽的な満足感を得るのは難しいでしょう。

実際、指揮者がきちんと音楽の主導権を持っている場合は、選曲などもある程度現代的な場合が多いです。
ただしそれがあまりに統制し過ぎている場合、今度は合唱団全体に生気が失われるという現象が現れることがあります。
人は叱られてばかりいると積極的な行動を取らなくなります。合唱団の練習も同じ。指揮者が上から目線であれダメ、これダメという指示ばかりしていると、合唱団員から積極性が失われ、結果的には非常に縮こまった薄い演奏になってしまいます。
またそれに指揮者が腹を立て、団員が悲愴な顔で大音量で歌っているのも、演奏を見れば察することは可能でしょう。こういうところが、演奏から普段の練習風景が見えてくるという所以です。

こういう見方を意地悪な鑑賞の仕方と思うかもしれませんが、結果的にそこから現れる音楽が良いものかどうか、と照らし合わせて考えれば、自分自身が同じ轍を踏まないための反面教師にはなり得るのではないでしょうか。

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