2010年12月25日土曜日

Twitterの心理学

Twitterを本格的にやってみて、ここ数ヶ月で自分の心持ちがちょっと変わったかなあ、という気もしないではありません。
やってみなければ分からない、とはまさにこのこと。人によってTwitterの考え方はまた全然違うし、他人に聞いてみても自分に合う答えなのかどうかは分かりません。

私自身の想いを言うなら、Twitterは自分自身を先鋭化させます。
自分の興味あること、自分のふと想ったことが、形になることによって、自分自身に再影響を与えます。そうして興味への振れ幅はより強くなっていきます。
文字数制限により、言葉は短くなります。他人への意見だって、挨拶も出来ない。この不便さは、ますます個人の態度を明瞭にさせます。自分の発言が「反論」なのか、まあ曖昧に済ますのか、すぐに他人に同調するのか、その相手が嫌いな人か、好きな人か、嫌われたくない人か、思わず冷たくしてしまう人か、短さの中にその想いが詰まってしまうのです。
他人のつぶやきを見ても、一人一人がどれだけ違う価値観で違う人生を送っているのか、ということに気付きます。リアルでは決して交錯しなかった人生が、目の前に展開される面白さというのは、時間がたつほどにじわじわと自分の意識を浸食していきます。

私自身は、まあ予想してはいたけれど、あんまりフォロー数を増やさずに見たいつぶやきだけをじっくり見る感じになってきましたが、それでも一般では有名でなくても、その筋の論客のような人たちの発言を見るのは大変楽しいです。
閉塞感が拭えない昨今の日本にも、それぞれの立場で頑張りながら、すごく頭が切れていて、的確な論評をできる人たちがたくさんいる。自分も影響を受けるし、関係する本を読んだり、音楽を聴いてみようという気になります。

iPhoneで気軽に見れる便利さもあって、ついつい時間を潰してしまうけれど、これ以上時間をかけるのは難しいし、付き合い方にはもう少し工夫は必要。
しかし、一度先鋭化してしまった自分はもう元には戻れなくなります。自分に出来ることは多くはないけれど、人生に対する目的意識も少しずつ変わっていくかもしれません。
社会全体が組織から個人主体に移っていく大きな流れを感じます。もともと大規模組織が苦手な私には、望むべき未来でもあるのです。

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