2010年4月23日金曜日

みんなクリエーター〜大事なのは見た目

内面と外面、どちらが大事?と問われれば、ほとんどの人が内面ということでしょう。
しかし、どんな内面も外面を通してしか表現することはあり得ません。誰からも見えないから内面ということなのですから。
だから最初の言い方は、私にはもう少し別の表現のほうがしっくりきます。物事の本質と、その表現手段ということです。内面とは、そのモノがそうあろうとする本質と言うことが出来るし、外面とは、それを表現する手段のことです。そういう言い換えをしても、意味的には納得してもらえるかと思います。
では、あらためて本質と表現方法、どちらが大事?と聞かれれば、私にはどちらも大事としか言いようがありません。

しかし、それと同時に、もう一つ言いたいこと。
「本質」とは本来備わっている資質であり、そう簡単に個人や団体から引き剥がすことの出来ない、極めて生来的なモノを指していると思います。だからこそ、本質をコロコロ変えることはないだろうし、コロコロ変わるモノは本質ではあり得ません。
また、本質は、みんなで会議で話し合って決めるものでもないし、論理的な思考で組み立てるものでも無いと思います。それを完全に否定するわけではないけれど、話し合われて作られた「本質」には嘘くささが伴います。本来、クリエイティヴィティとは属人的要素が強いものですから、嘘くさいと思われた瞬間に借りモノ感が現れ、クリエイティヴィティが失われます。

新しいモノのコンセプトを決めるときに、本質はいったい何なんだ、ということを話し合おうとすることがありますが、それはかなりの場合、不毛なことが多いです。
ルールや、仕組みや、計画を議論するときは本質論は必要でしょう。
でもクリエイティヴなアウトプットを求められたときには、むしろ本質論は不要。そこから始まっているようでは面白いモノは現れません。そこに集まっている人たちが、すでに何らかの共通の本質を纏っていることが前提になるのです。
そして、そこで話し合われる内容は、むしろ表現方法であり、それは元の言い方に戻せば外見、ということになります。私たちを私たちらしく見せる新しい表現方法を探すのです。

いささか抽象的な話になり過ぎました。
まとめると、本質とは本来備わっているもののことであり、模索すべき新しいモノとは「表現方法」のことです。表現方法が新しくても、芯にある本質が変わっていないことがクリエイティヴィティの基本だと私は考えます。

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