2010年2月28日日曜日

「何か新しい」という罠

昨今、この不況を乗り切るために、あるいはグローバルな視点が求められる企業活動の中で、これまでのやり方ではなく、「何か新しい」商品やサービスを考えている方々は多いと思います。
「何か新しい」ことを考えることを命じられた人々は、ブレスト的に何か新しいことはないか、と一生懸命考えます。みんなで集まって意見を出し合うと「そんなの、もう○○がやってるよ〜」とか「なんか、新鮮味が無いよね〜」とか、「昔から同じこと言われ続けたけど成功した人はいないよね〜」みたいな会話が飛び交います。

翻って、芸術活動を考えるならば、現代芸術というのは、まさに「何か新しい」ことを強要された(あるいは勝手に創作家がそうあらねばならないという強迫観念を持った)ジャンルではなかったかと思うわけです。
上で出た商品企画会議の発言内容は、そのまま創作家の心の中での「新作コンセプト一人会議」での葛藤と同じものではないかと想像します。つまり、企業が「何か新しい」ことを考えることと、現代芸術家が次作の構想を練ることってとても似ているような気がするのです。
自分自身も常にそういう葛藤の中で作曲をしてきたという想いもあります。

しかし残念ながら、ほとんどの人は現代芸術を楽しんでいるわけではありません。
私としては、企業で「何か新しい」ことを考えて苦しんでいる人にこそ、「現代音楽の夕べ」みたいなコンサートを聴きに行って欲しいですね。「何か新しい」ことを追求すると、こんな風になりますよ、みたいなことを感じてもらう意味で。
同じように「新しいもの」を追求している同志として、別ジャンルの苦悩を垣間見れば、陥ってはいけないことにも気付くはず。
こんな言い方はやや皮肉っぽいけれど、「新しい」ことは結果論であることに気付くべきです。
商品が、サービスが、新作が評判になりヒットして、多くの人に享受してもらいたいだけなのです。本来企業活動であっても芸術であっても、「新しい」よりも「心に響く」ことが第一でなければなりません。

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