2009年3月28日土曜日

日本語を伝える-子音と母音の連結

やや音声解析的な話になりますが、同じ「あ」でも「か」の「あ」と「た」の「あ」は違います。
人間の耳がどうやって、音節を判断しているか、次のような実験をしてみます。「か」という音は「k」の子音部分と「a」の母音部分があるわけですが、「k」の破裂音を例えばホワイトノイズでマスキングして、被験者に聴いてもらいます。そうすると、不思議なことに「k」の成分は聞こえないはずなのに、聴いた人は「か」に聞こえるのです。
何となく「か」に聞こえるわけでなく、何もマスキングされてないときと同じように明瞭に「か」と聞こえるのです(自分が被験者になったので自信持って言えます)。
この原因は何かというと、人間が「か」という音節を認識するとき、「k」の子音部だけでなく、「k」と言ってから、「あ」にいたるまでの音色の変化を聴いていて、そこまで含めて「k」の子音と感じているのです。
これは専門用語で言えば、フォルマントの移動の仕方そのものが、子音の認識に影響しているということです。

このことを言葉を伝える技術に応用するのなら、子音のみを強調するだけでなく、子音と母音の連結部分をもっと強調すれば良いのでは、と言えると思います。
強調と言っても力で押すのでは無く、やや粘り気のある感じで、子音から母音への移行を緩慢にすれば良いのではないでしょうか。
歌は通常の話し言葉より、時間方向に冗長になります。だからこそ、発音のための口周辺の動きも通常の話し言葉より時間方向に引き延ばしてあげれば良い、という推論も成り立つと思います。
確かに優れた歌い手、特に演歌歌手などは、そんな傾向があるような気がします。演歌っぽく歌えというわけではないのですが、そういう部分で見習うべき点は十分あるのではないでしょうか。

このように理屈で考えると、ちょっと窮屈な印象を感じるかと思いますが、合唱の表現がどうしても淡白に感じるのは、発音の粘り気が足りないからではと最近感じているのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿