2013年1月12日土曜日

音楽の記号的側面 -音楽研究の違和感-

「音楽」を学問として研究しようとするとき、どんな学問が考えられるでしょう。
もちろん音楽そのものを扱う音楽理論的なものを始めとして、音楽史を扱うもの、文化として社会との関わりを扱うもの、音楽教育を扱うもの・・・などが思い付きますが、今の日本ではいずれも文系の範疇に入ります。
その一方で理系的に音楽を扱う場合、音声・音響理論のような音現象を扱う学問が考えられますが、最近では音楽情報処理という方向性がひときわ盛り上がっているようです。

私自身は全く研究に関わっていないので、詳細は詳しくないのですが、音楽情報処理とは音楽そのものをあくまでサイエンスとして扱う学問です。
例えば、音楽の音声データから曲のテンポを抜き出したりとか、メロディを認識したりとか、演奏されている楽器を認識したりとか、演奏の特徴を抽出するとか、そのようなことを扱います。

人間は音楽を聴いただけで多くの情報を読み取ることが出来ますが、音声を解析してそういう情報をコンピュータがアルゴリズム的に読み取るということは、現状ではまだ至難の技です。
しかし、この分野が脚光を浴び始めたのは、私の認識では「初音ミク」ブーム以降であり、多くの人が初音ミクを上手に歌わすために、どのようにデータを作れば良いか、という一種オタク的な探究心から盛り上がっているような気もしています。

個人的には大変興味深いアプローチではあるのだけれど、実はこういう研究に常にある種の疑問を感じているのも確かです。
なぜなら音楽というのは文化的な側面が非常に強く、人文学的なアプローチを抜きに音楽を扱うことは非常に難しいと思うからです。

前回から書いている「音楽の記号的側面」とは、ある音楽が社会の中で記号化した結果、人々に特定の感情を与える触媒としての役割を果たす、ということでもあります。その場合、音楽そのものの価値と社会的な価値が乖離する場合があります。
例えば、名曲と言われるメロディを解析すれば、名曲になるための法則を得られることが出来るか、というような疑問にあなたはどう答えるでしょう?
私の答えは、変な曲になる法則は見つかるが、名曲になる法則は見つからない、と思っています。見つかったようにみえても、それは完全に客観的な法則ではなく、研究者の与えたパラメータに依存した結果になることでしょう。

今、このような文化的な範疇のものを扱う技術としては、客観的な法則を探すのではなく、集合知から全体の平均値を探す、というアプローチの方が正しそうです。
ある特定の音楽の価値をサイエンスとして客観的にはじき出すことは不可能だけれど、今生きている人たちが、その音楽の価値や意味をどのように考えているのかを統計的に分析することは可能ということです。

従って、音楽情報処理のような学問は詰まるところ、世界中からどれだけ多くのデータを吸い上げることが出来るかで、その価値が決まるように思います。
例えば、ある音楽が記録された音声データからその音楽のビートを抽出するようなアルゴリズムを考える際、多くの人がビートの頭だと思う場所の特徴を、出来るだけたくさん集めた方が良いシステムになるのではないでしょうか。

理系研究者はどうしても、ある普遍的な法則があることを前提として、自分の研究を進めてしまう傾向があるように思います。
文化に属するものは、その価値が相対的なものであり、いくらでも変わりうるものだという自覚を持って接するならば、そのようなアプローチは危険であると思えるのではないでしょうか。

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