2012年6月16日土曜日

構造と変化

どのような創作物にも構造が必要です。
構造というのは、別の味方をすれば「繰り返す」ことでもあります。逆に言えば、二度と繰り返さないものには構造がありません。
繰り返しは、小さな部分から大きな部分まで様々な局面に現れます。例えば音楽なら、基本ビートとしての八分音符や四分音符が最小の繰り返し単位。これに小節という単位の繰り返しがあり、8小節程度の楽節という単位があり、最後に本当の曲構造としての繰り返しがあります。

文章には繰り返しは無いでしょうか?
繰り返したくなくても、どんな文章であっても「文」という単位の繰り返しがあるはずです。これは句読点の繰り返しとも言えるかもしれません。
ある程度の文章が長くなれば段落が作られます。これも書いているうちに、段落の大きさにパターンが生まれ、そこに一定の繰り返し感が生まれます。

繰り返しというのは、似ている、ものが並置されているということです。
同じものが並置されている、ことは一見「変化しない」ことのように見えます。
しかし、その変化させないやり方に表現者としてのセンスの違いが出てくるように思うのです。

変化する、ことは創造的活動にとって最も重要なファクターです。全てのモノゴトは変化します。変化しないということは死を意味します。
創造的な活動というのは、常に新しい生命を生み出すことであり、その基本に若々しさや生命感を必ず内在しています。変化の無い創造物は全く面白くありません。

ここで構造が指向する繰り返しと、創造物が内在すべき変化が対立します。
例えば、こういう対立は日常生活でも見られるのではないでしょうか。ルールを守る厳格さ、規則正しい生活を送る几帳面さ、が必要である一方で、新しいことを始めたり、新しい人と合ったり、新しい場所に行ってみたりする、といった生活の変化としての要素がないと人生面白くありません。
こういうと、構造は規則・厳格といったイメージで人を縛る感じがあるけれど、変化は自由・新鮮というイメージで人を楽しませるように思えてきます。

心理学的に言えば、構造は超自我(SuperEgo)で、変化はES。超自我は自分を律しようとする無意識、ESは欲望の固まりのような無意識。

もちろん人は規則通りにしか動けない堅物では面白くないけれど、好きなことばかりしている適当な人も困り者。
人には、常にルールを守る厳格さと、新鮮なものを楽しもうとする気持ちの両面が必要なのです。
そして、それは創造物もまた同じ。構造と変化は創造物が持つべき大きな二つの対立するベクトルで、そのバランスの良さが、創造物の価値を決めていきます。

素人が初めて何らかの創作活動を行おうとすると、最初の作品には構造性が欠ける場合が非常に多いです。それが素人臭さを醸し出します。
基本的な生命感としての変化の要素はもちろん重要なのですが、それを整理し、的確に伝えるための構造こそ理性で制御する部分であり、芸術の質を高めることに繋がるのです。

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