2012年1月28日土曜日

組織とかモチベーションとか


一般意思2.0の内容もそうなのだけど、最近組織とかチームとか、あるいは国民全体も含めた多人数をモチベーションという文脈で良い方向に持っていく、というようなことを考えます。
恐らく、それは合唱団とか、会社の部署とか、そしてもちろん日本の政治とか、自分の幸福感が自分の所属している団体に依存するからであり、それらを少しでも改善するにはどうしたら良いか、と考えるようになったからでしょう。特に、全ての場所でそういう役割を求められているわけでもないのですけど・・・。

その際、例えばこんな本とか、こんな本でも紹介しましたが、個人のモチベーションという視点は欠かせません。
誰か一人が一生懸命声を大きくして言っても、一人一人がやる気にならなければ組織のパフォーマンスは上がらないからです。
その場合、これまでの人生で自分が「やる気になった」状況、「やる気を失った」状況を思い起こしてみると、それは非常に鮮明になります。
恐らくみんな同じと思うけれど、やる気になった状況は、自分の力を認めてもらった上で何らかの大きな仕事を与えてもらったときです。逆にやる気を失った状況は、自分がよかれと思ってやったことを否定されたときです。
否定は言い方による場合もありますが、やんわりであっても、こちらに気を遣ってくれたとしても、たわいもない理由で自分の努力の成果を否定された場合は、急速にやる気を失います。

私の見るところ、身の回りで一人一人のモチベーションが高い組織はあまり見かけません。いや、現実日本においては、そういう組織作りが非常に苦手だと思います。
例えば、日本ではいろいろな係を順番に行なう、ということが良くありますよね。たいてい皆の意識に、面倒なことはやりたくないから、公平に順番に割り振ろうという考えがあるのだと思います。もちろん、本当に誰もがやりたくない作業というのはあるし、それを公平に分担しようという考えは決して間違いではないでしょう。
しかし、「面倒なこと」「やりたくないこと」であることが前提の仕事に人は情熱を注ぎませんし、それがやや複雑な仕事であれば結果的にパフォーマンスを上げることは難しくなります。本来仕事としてきちんとこなされるべきことを当番制にすることで、パフォーマンスを落としてしまう状況があると私は思っています。
日頃から、がんばって仕事してくれた人の良かった点を具体的に公表し、仕事をしたことに敬意を表するような文化を作っておけば、順番に割り振らなくても「私がやります」と言ってくれる人が増えてくるのだと思うのです。

その場合、前に立つリーダーが何を言うかは本当に大事だと思います。
ちょっとしたことに手を抜くリーダーがいれば、メンバーは簡単に見抜くでしょう。そうすればメンバーも手を抜き始める。もちろんリーダーがしつこくこだわる点をメンバーは気にするようになるし、リーダーが全く拘らない部分は、一部の人が問題だと思っても組織として問題に上がることは無くなります。
良くないことをズバッと指摘し厳しく叱咤するリーダーを良いリーダーだと思う傾向は日本では強いけれど、モチベーションをベースに組織力を上げようとするならそこは非常に注意しなければいけません。
他人を叱咤するなら、その理由の公正さは絶対条件になります。不公平がまかり通れば、あっという間にやる気は失うからです。

だから、私のようなカリスマ性のない人間はむしろ叱咤で人を動かさないほうが良いのです。
その場合、「悪いこと」「直すべきこと」は非常に客観的で、淡白に、機械的に指摘するほうが良いと思います。逆に「良いこと」「賞賛すべきこと」は主観的に、感情的に、全体に対して表現すべきだと思います。
たいていの場合、直すべきことを感情的に表現してしまうことが多く、それが組織やリーダーに対する隠れた不満に繋がっていくのではないでしょうか。

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