2011年10月18日火曜日

楽器を作るということ─工業製品としての限界

楽器なんてもう発展しないんじゃないか、とも取れる前回の話でしたが、もちろん、人類がいる限り恐らく楽器はこれからも新しく作られることでしょう。
ただし、工業製品として、大量生産されるものとして、世界的に流通する商品としての楽器は、標準化された形式にならざるを得ず、結果的にコモディティ化の運命を辿るのではないかとやや悲観的に考えます。

浜松の駅の近くに楽器博物館という古今東西の楽器を集めた施設があります。
楽器に興味のある人ならぜひ行ってみてもらいたいのですが、ここには楽器が標準化される前の、進化大爆発とでもいうような多くの奇形な楽器を見ることができます。
ピアノでさえ、一台で二人分の鍵盤があったり、鍵盤の数や大きさが様々だったり、といろいろ面白い楽器を見ることができます。
実際のところ、新しい楽器を作るということは、単に音量を良くするとか、音質を良くするとかというレベルでなく、一つを二つにするとか、大きさを半分にするとか、発音体の材質を変えてみるとか、もっとアグレッシブな行為であったりします。音楽を作り出すことと同じだけ、楽器を作ることはクリエイティブな作業なのだと実感できます。

先日、ビョークのニューアルバムの紹介をしましたが、あるwebの記事に(真偽は定かではないけど)ビョークがガムランとチェレスタを合わせてガムレスタという楽器を作らせた、という話が書いてありました。
アーティストは常に新しい音楽を作り出そうという存在であるわけですから、そんな人たちこそ、新しい楽器を生み出す主人公です。
クラシックでも、作曲家は常に新しい楽器を欲しましたし、古典〜ロマンとかけてオーケストラの楽器は随分発達しました。
実際のところバッハの時代の鍵盤楽器と、現代の楽器とは全く違うもので、いわゆる古楽の世界では、今の楽器を弾いてもバッハの音楽は良く再現されないという考え方まであります。
微分音の曲を書くために、二つのピアノを合体させて、一つのピアノは全部50セントずらして半音の半音まで表現できるピアノを作った人もいますし、純正律に近い響きをえるため、一オクターブを12以上に分割したオルガンを作った人もいます。

そして、今でも一部のミュージシャンは自ら楽器を作ります。
私の見るところ今一番新しい楽器が生まれている場所は、iPadです。こんなもの楽器じゃない、という人もいるでしょう。しかし、それはすでに保守的な考え方に囚われています。これほど、毎日のようにタッチというインタフェースを利用して新しい楽器が生まれている環境はありません。

楽器はこれからも新しく作られ、発展していくことは間違いないのですが、それは常にアーティストのどん欲で斬新なクリエーター魂とセットで行われるものです。
その部分がビジネスベースにのらない限り、楽器メーカーから新しい楽器を出すことは難しいと思えます。今後はiPadなどのデジタルデバイスだけでなく、3Dプリンタの発展でモノとしての楽器も作りやすくなっていくでしょう。そうなると、もはや会社といった組織でなく、マニアックな個人が新しい楽器を作る主人公になるのではないか、とそんな気がしているのです。


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