2011年10月23日日曜日

楽器を作るということ─揺らぐ境界

「楽器を作る」というためには、楽器とは何か、が定義されていなければなりません。
別に哲学的な問いをしようとしているわけではないのです。エレクトロニクス技術の発展で、音を出すということがいとも簡単に出来るようになった結果、いろいろな機器を作ることが可能になりました。
確かに商品として世に出ているものの作っている側もこれは楽器と言っていいのか、という疑問を感じるようなものがあるわけです。
そういう意味で、楽器と単に音が出る何か、の境界が非常に曖昧になりつつある感じがします。

例えば、DJ用のターンテーブル。
いわゆるDJの世界については私は多くを語ることは出来ないけれど、一つの音楽ジャンルを形成していることは事実だし、その世界で活躍する人たちがいて、その世界で使われる機材があります。
ターンテーブルといえば、アナログレコードをかけながら、回っているレコードを手でわざと動かしスクラッチノイズを出すためのアレですが、これは楽器と言えるでしょうか?
まあ、元はといえばアナログレコードプレーヤなのだから、それ自体は単なるオーディオ機器です。
しかし、DJプレイ専用に開発されたターンテーブルは、積極的な音楽パフォーマンスを実現するために作られているわけである意味、楽器を作る、という自覚が必要ではないかとも思えます。

同様にKORGから出ていて、ヒット商品となっているKAOSSILATORとか、iPadのタッチインタフェースを利用したアプリといったものはどうでしょう。
考えようによっては、全く新しいUIを提供したテルミンなどもこの系譜に入るのかもしれません。
電子的なパラメータをタッチインタフェースでコントロールして、いろいろな音色を出す、というのは、自然楽器ではあり得ないけれど、音をコントロールするという意味では立派な楽器ともいえます。
こういう演奏法が市民権を得れば、それは何十年後に楽器として標準化するかもしれません・・・が、パラメータや操作への設定の可能性は無限大であり、この手の演奏法が標準化するような事態は、正直想像しがたいというのも事実。
一見、いろいろな表現が出来て面白いのは確かですが、シリアスな音楽を作る道具として今後使われうるものなのか、賛否両論はあることでしょう。

ヤマハのTENORI-ONも微妙な立ち位置にいます。
これが楽器と言いづらいのは、演奏のリアルタイム性がほとんどないからです。
��小節単位のリズムパターンを全てスイッチでON/OFFできるというのが操作のコンセプト。ですから、ユーザーの操作はあくまでシーケンスのプログラミングなのです。
今までの感覚でいえば、これはシーケンスソフトで打ち込みをする機械とも言えるわけですが、TENORI-ONの不思議なところは、この操作が次の小節から有効になり、半リアルタイムともいえる操作性を持っているということ。
演奏家というよりは、指揮者的な楽器とも言えます。音楽の全体設計、全体構造を半リアルタイムで制御するといったイメージだからです。

このような近年の新しい楽器の登場を考えてみると、テクノロジーが音楽の可能性をも広げている実態が垣間見えます。
このような状況において、オーケストラとか、ピアノとか、打楽器とか、そういった生楽器を演奏することが音楽演奏、あるいは楽器の本質であるという感覚自体が時代遅れになってしまう可能性だってあります。
自分が望むかどうかに関わらず、時代はどんどん変わっていきます。音楽はあくまで文化的なモノですから、世の多くの人が面白いと思えばそれが主流になっていきます。
そのような時代において、そもそも楽器とは何ぞや、ということを音楽に携わる者は考えざるを得なくなってくることでしょう。

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