2011年9月4日日曜日

SNSが変える未来─階層とは

前回この話を書いたとき、人間の階層構造が出来る、というやや不穏な表現を使いました。もうちょっとこの表現の真意を書いてみたいと思うのです。

階層構造というと身分制度が厳密であった頃の社会を想像するかもしれません。
それは人間に身分という属性がついてまわり、それによって社会的な序列が出来ることであり、その序列によって人々の自由が大きく左右されてしまう状態のこと。もちろん、このような社会に戻りたいワケではないし、戻りたくてももう無理なのではと思います。
私が今階層と言っているのは、専門性のレベルの違いのようなものです。
例えば、経済に詳しい人と詳しくない人がいます。専門教育を受けていなくても、経済のことが好きでよく関連する本を読んでいる人とそうでない人とは知識量はかなり違うでしょう。
私が経済のことを知りたいときに、身の回りにいる経済に精通している人の意見を聞くとします。この精通している人は、経済マニアですが専門家ではありません。彼は専門家のいろいろな意見を聞いて、そういう情報を仕入れるわけです。
このように、経済という観点から想像してみたときに、少なくとも、専門家、好事家、何も知らない人、みたいな三つの階層が考えられるわけです。

社会は絶えず、大きな判断をする必要があります。
その判断はもちろん政治家が行うわけですが、その政治家は選挙権を持つ人によって選ばれます。
しかし、私たちは選挙に出ている立候補者のことを一人一人個人的によく知っているわけでもないし、逆によく知っているとすると選択肢がないと思うかもしれません。自分の意見を託すには、もっと自分が個人的によく知っている人で、その人に判断を委ねても良いと思える人にしたいものです。
ならば、ジャンルごとに自分の判断を友人に委任するような仕組みを考えたらどうかと思うわけです。

もう少し具体的に考えてみましょう。
例えば昨今話題に事欠かない増税問題。一人一人は税金が多いのは嫌に決まっているから、単純に増やすか減らすかと国民に問うと減らすほうが優勢になるはず。けれど、結果的に国家が破産してしまえば元も子もありません。
そういう問題について、自分より詳しく、かつこの人の意見は正しいと思える人に、自分の意見を委任したらどうかと思うわけです。さらに委任された人は、自分の持つ全ての票をさらに自分が信任する人に委任します。
形式的には国民投票みたいな形ですが、一人一人が必ず投票しなくてもよく、自分が信頼する人に投票権を委任します。このような形を取ることにより、中間的な立ち位置にする人たちの言論が活発になり、より議論も深まるような気がします。結果的に、今よりもう少し質の高い判断が出来るようになるのではないかと思うわけです。

たまたま政治の話を書きましたが、万事の意志決定がその通りになっていけば、世の中の意志決定はより効率的に、そして正しくなるのではと私は勝手に予想しています。そのためのツールとしてSNSやネットは最適だと私は思うのです。

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