2011年8月30日火曜日

私的コンクール観

今私が唯一演奏活動している団体であるヴォア・ヴェールが、2002年の創団以来初めて合唱コンクールに参加しました。昨日の静岡県大会で、嬉しいことに県代表となりましたので、10/2の関東大会に出場することになりました。関東の皆さま、以後お見知りおきを。

私自身はヴォア・ヴェールの前身の合唱団や某職場合唱団で何度かコンクールに出たり、県大会で臨時の指揮者をやったりと、コンクールには結構関わっています。その中で、コンクールというものについてどう考えるか、自分なりにいろいろ思うところはあるのです。
そんな私のコンクール観について2,3挙げてみようと思います。

一つは、コンクールの結果について。
多くの人が発表後いろいろと結果を論評したりするわけですが、後で結果に対して不満を言う人は結構います。しかし、私は審査結果に腹を立てるのは愚かしいことだと考えます。
そもそもコンクールに公平性などを求めてはいけません。というか、音楽に公平な序列を付けることは不可能です。そういう不可能性を前提として結果を受け容れることが、私の考え方。
エキセントリックな審査をした審査員について、その人の傾向を分析することは構いませんが、批判しても意味はありません。それはその人の主観による判断でしかないからです。
審査員は権威などではなく、やや能力は高いけれど、単なる我々と同じ音楽仲間の一人です。そう思えば、何となくいろいろなことに大らかな気持ちになってくるじゃないですか。

次に、コンクールは近隣の団体との名刺交換のようなものだ、と思います。
直接会って挨拶することもあるでしょうし、そうでなくてもプログラムを見て、どこどこの団は今年何人でどんな曲を歌っているか、を見るだけでも相手の様子は伝わります。順番によっては客席で聴くことも可能ですから、そうやっていろいろな合唱団の印象を記憶していくわけです。
県内や支部の他の合唱団が、どのような人員で、どのような指導者で、どのような選曲をどのように演奏しているか、そういうことを知り合うことが、またコンクールの楽しみの一つでもあります。
そこから、学ぶべきことは学び、反面教師なところがあれば密かに心に刻み、自分自身の合唱経験に生かしていければそれは良いことに違いありません。

あともう一つ、これは私の特殊事情ですけれど・・・、コンクールは自作品を世に問う良い機会でもあります。
昔の合唱団でも3回ほど、そして今年のコンクールでも私のオリジナル作品を自由曲で演奏しています。歌わされる団員がどう思っているか、今ひとつ本心が見えませんが、いつも皆さんには私のわがままを聞いて頂き嬉しく思っています。
しかし、これは審査員にとっても嫌な団体だろうなと思います。
自分の作曲した曲を指揮してコンクールに出られたら、曲作りや様式の審査はほとんど無理。逆に審査員が作曲家の場合、曲に突っ込みたい気持ちもあるだろうなあ、なんて思ったりもします。実際には、これまでの経験でいうと、曲そのもの以前の発声とか発音とかの声楽的能力のみで評価されていたような気もします。
ただ、自分のオリジナル曲を多くの合唱好きの人に聞いて欲しい、と思う身にとっては、合唱コンクールは最適な場だと感じます。うまくやれば、それは私たちの団の大きな個性にも繋がるので、みんなが了承してくれる限りは、今後もオリジナル曲をコンクールで演奏していこうと考えています。

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