2008年9月20日土曜日

アカペラの面白さとは5

人の声は千差万別。だから、その複合体である合唱団のサウンドもまた千差万別です。一つとして同じ音色を出す合唱団はありません。
厳密に言えばもちろん楽器とて同じ話なのでしょうが、例えば鍵盤楽器の一つの鍵盤だけを押すのなら、人間が押しても猫が押しても同じ音が出ます。その再現性の高さこそが、鍵盤楽器の汎用的な能力を物語っているわけですが、音色に対する味わいは人の声ほどの多様性は持っていません。

声は音が出始めてから消えるまで、全て人のコントロールの内にあります。
音の立ち上がりも、もわっとした感じから、非常にアタックの強い歌い方までいろいろあるし、声の伸び方、そして消え方も同様に様々な音色や表現が考えられます。もちろん、それらは歌い手にしっかりコントロールされている場合もあるし、無意識になってしまっていることもあるでしょう。
特定の指揮者のもとで長く歌っていれば、合唱団全体もその指揮者の好みのサウンドに変わっていきます。鳴らすことを優先する指揮者、リズムを立てるのが好きな指揮者、アゴーギグの変化が好きな指揮者、端正な表現が好きな指揮者・・・。
指揮者が意識的に、あるいは無意識のうちに要求する音楽に対して、アカペラ合唱という音楽形態は特に過剰に反応するように思えます。良くも悪くも合唱団の持っている性質が増幅されてしまうのです。それは声という、非常に表現の幅の広い楽器を使用していることの副作用とも言えるでしょう。

具体的な例として、ある特定の曲を複数の団体が演奏したとき、本当に同じ曲なのか、と思うくらい違っていることがあります。テンポだけの話でなく、音楽を聴いたときの総合的な印象の違いです。
演奏する場所にも大きく影響されます。アカペラは人数の割には音量が出ないので、演奏に残響は必需なのですが、その残響の多さによっても曲が与える印象はずいぶん変わります。
アカペラという表現形態は、そのような表現の幅の広さを持っているからこそ合唱団や指揮者の音楽性が露骨に現れるし、演奏を聴けば普段どのような練習しているかといったことまでが透けてきます。同じ音符を演奏しても、無限に演奏のバリエーションが生まれ得るその多様性もまた、アカペラ合唱の魅力の一つではないでしょうか。
合唱はほぼアマチュア主体なため、実力面で何を大事にして、何をおろそかにしているかが分かりやすく、だからこそ力のある人にとっては、合唱団作りが何よりもやりがいのある仕事のように思えてくるのでしょう。

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