2008年8月20日水曜日

芸術論〜売れるモノと残るモノ

もちろん、こんなふうに二つ並べれば、商業主義に毒されたモノより、後世に残る本物の芸術の方が価値が高いものだと誰もが思うでしょう。
商業主義の弊害のようなものは当然あるとは思うのですが、だからといって売れることに背を向けるのは正しい考え方だとは思いません。なぜなら、今現在評価されないことを正当化することは、独りよがりになる危険性を孕んでいるからです。
確かに売れているモノの中には、うまく時流に乗ったり、芸術本来の力でなく付随する属性によって評価されたりすることも多い。しかし、それと同時に内容が確かだからこそ評価されているもの、というのも確実に存在します。
私たちが本当に鍛えるべきものは、売り上げとか、ランキングとかに翻弄されず、現在評価されているものの中から本物を探し当てる自分自身の審美眼だと思います。
注意深い鑑賞者は、今流行っているものの中から後世に残るモノを嗅ぎ分ける力を持っています。また、なかなかそこまでの審美眼を持っていなければ、自分自身を導いてくれる評論家の意見に頼るという方法もあります。直接的にしろ、間接的にしろ、自分が何かの判断をしなければいけないのは確かではありますが。

ですから、私の感覚としては、売れるモノというのは、残るモノになるための必要条件であり、少なくともこれだけ情報が氾濫する現在、本物が誰の目にも留まらない、ということはほとんどあり得ないことです。
売れることは重要ですが、「売れる」ために本来の中身以外の属性を強調してしまう人たちが少なからずいます。鑑賞する側は、それをきっちり見極めなければいけないし、創作する側は、売れるためにどんな努力をするのか、その質が問われているのです。

おおざっぱな傾向として、正直日本人は流行りに弱い部分があると思います。それは、結局「売れる」けれど「残らない」ものを大量に排出してしまうことに繋がります。
そのような傾向を嘆く人たちもたくさんいます。悪く言えば、近視眼的な真面目さを持った人たちです。しかし最近思うのは、どのような状況においても、泰然としながら、しっかりと我が道を進める人がもっとも強いなあということ。スポーツなんかも同じですよね。

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