2008年8月5日火曜日

芸術論〜合唱の場合

とりとめも無く書いてきましたが、ここで無理矢理合唱の話と結びつけてみます。
そもそも、これまで私がいろいろ書いてきたことは、創作の最前線に居たいと思う人間の一人として、芸術活動とは一体何なのか、と自問自答してきたことです。
それは一つには、合唱というジャンルが非常に保守的で、かつ、芸術活動の最前線にあるとは言い難い現状に対するいら立ちのようなものがあったからです。
私自身がそんな大げさなことを言えるほど立派な活動をしているわけではないけれど、自分の出来る範囲で何とかしてみたいという気持ちだけは持っているつもりです。

漠然とした不満を一つ具体的に言ってみるなら、合唱界にアーティスト、クリエータと呼べるような人が少ないという点が挙げられると思います。それは、一つにはアマチュア中心、コンクール中心の活動が、個性やオリジナリティよりも、保守的な価値観における優劣に終始しているという状況と無関係では無いでしょう。
だいたい、先進的な取り組みには常に賛否両論があるものです。そういったものの評価はコンクールというシステムとはたいてい相性が悪いのです。合唱に関わる多くの人がコンクールというシステムに関わっている限り、異質で破天荒なものを排除し、狭い世界で評価を得るために全体が均質化する危険性から解放されることがありません。
もう一つは、合唱の教育的な側面。合唱世界で名をなす方々は、私にはアーティストというより教育者を指向しているように見えます。率直に言えば、私は歌い手の情操教育のようなものはほとんど興味が無くて、舞台上でいかに観客をエンターテインできるような演奏を繰り広げられるか、その最も基本的な舞台芸術の原点がおろそかにされていることのほうが問題だと感じてしまいます。
尖った芸術家が合唱の世界にもっと必要だと思うし、私自身も(性格は全く尖っていないけれども)そうありたいと思っています。
そして、そのためには合唱という狭い範囲の価値観だけではなく、幅広い芸術作品を(観客として)鑑賞することによって、汎用的かつ根源的な審美眼を養うことが重要なのではないでしょうか。

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