2007年7月11日水曜日

メロディ学 言語依存度

以前、「音楽と言語」という本を紹介したんですが、まさにこの本、言語と音楽の関連性を述べているわけです。西洋音楽史全体を俯瞰した考察は大変示唆に富んでいます。
そもそも、この本が言っていることは、最初に音楽と詩が不可分の状態にあり、そこから韻を持つ詩の世界と、リズムや音階を規定した音楽の世界に分かれた、と述べられます。そして、西洋音楽の歴史が、言語へのすり寄りと音楽そのものの力学の間で、振り子のように振れていることを時代を追いながら解説しています。

前回私が書いたタイプ分けで言うなら、現在のポップス全盛の世の中では、タイプ1の、言語感を大事にしながら、拍節感の強い音楽が一般的と言ってしまってよいと思っています。
しかし、タイプ1の中でも、より言語依存度を高くした、タイプ3のベクトルを持った音楽、あるいは逆に、器楽的なメロディを多用したタイプ2のベクトルを持った音楽というのがあるのではないでしょうか。

音楽史的には、バッハはまさにタイプ2的な音楽を志向していました。声楽であっても、徹底的に器楽的に扱うという方法です。「音楽と言語」でもこのように述べられています。
「彼(バッハ)は言葉を、響きをもち、形をもった意味形態として使用することをやめた。すなわち彼は、言語を自律的な表象像の総体、あるいは言語的形態としてみなすことをやめて、むしろそれをとくに言語的な性質をもたない意味関連の標識として、つまりそこに述べられている意味を単に指し示す指標としてみなしていたのである。」

言葉を語られるものとして使うのでなく、その意味のみを利用することによって、より音楽は器楽的な方向性に向かいます。確かにこのことは器楽的なメロディの特徴の一つを表しているように思えます。

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