2006年5月21日日曜日

好きだけどやりすぎ

自分にとって、好きな、あるいはとても気になる芸術家なのだけど、その中には自分にはどうも理解できないというか、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思えるような作品がある、というようなことってないですか。
先日もちょっと書いたプロコフィエフは、私にとってそんな芸術家の一人。
いまや一番気になる作曲家と言ってもいいし、大好きな曲もたくさんあります。残念ながら合唱とはほとんど無縁な作曲家ですが(書いていても、あんまり歌いたくないかも)、創作家として刺激的な作品をたくさん残した重要な人物だと思っています。
最近、実はプロコフィエフのピアノソナタ全集なんてのを買い込んで、ちまちま聴いているのだけど、聞き流している程度では曲の仕掛けがちっとも理解できなくて、未だにそれらは「変な曲」の域を脱していません。要は、理解しようと努力しないと、ただの「変な曲」にしか聞こえないのです。
極度に抽象的で、場合によっては無機的で、それでいて、その奥に潜むイマジネーションの拡がりが時折おぼろげに感じられる、というそんな作品群。ほんとに一瞬、ときどき、気になる面白いフレーズが現れるけど、それ以上に変てこなメロディ、フレーズにも溢れています。7番も十分変てこだと思っていたけど、何だか7番が一番聞きやすい曲にも思えてきました。
そう考えると、プロコフィエフって、自身がちょっと分かりやすく書こうとしたくらいがちょうど気持ちいい作品になるような気もします。名曲、交響曲五番も、それ以前の交響曲に比べれば分かりやすく書かれたように思います。アバンギャルド的態度と、ほどほどの分かりやすさが同居している状態が、プロコフィエフの場合、名曲の条件となっているのでしょう。
ちょっと音楽から離れて、作家の場合だと、安部公房なんかが、私にとってプロコフィエフに対する印象とすごい近いような気がします。好きなんだけど、やりすぎ~みたいな・・・。

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