2006年3月15日水曜日

楽譜が語るもの

楽譜と演奏は一対一の関係ではなく、一つの楽譜から無数の演奏が生まれます。楽譜は思っているより全然厳格なものではなく、時には即物的な指示さえ(テンポ指定など)無視されたりします。
逆に、演奏から楽譜を作ることは可能でしょうか?技術ネタとしては面白いかもしれないけど、少なくとも元の楽譜と同じになるなんてことはあり得ないことはすぐにわかるはず。例えば、ある音が楽譜に Fis と記載されているか、Ges と記載されているかは、完全に曲を作る人の恣意に委ねられており、音だけで判断することは不可能です。そういう意味で、楽譜から演奏への流れは不可逆な変換と言えましょう。

つまり何を言いたいかというと、楽譜の情報は一見明確な音像を規定しているように見えて、実は非常にあいまいな要素があると思うのです。同じ記譜をしても、同じ演奏にはならない。また、再現性の高い演奏をしても、そこから正確な記譜を求めることが出来ません。楽譜から演奏者が何を考えてそのように演奏したか、そこにはどうしても演奏者の思考が介在します。また逆に全く同じ演奏になったとしても、幾通りかの記譜法が存在することになり、そこにはどうしてそのように書いたのかという作曲者の思考があるはずです。

ここでは後者の方にちょっとフォーカスしてみたいのです。
全く同じ音になるはずなのに、違う書き方をした場合、そこにどんな意味があるのでしょうか?
では、一つの例。頻繁に転調するような曲があったとします。この曲を書くのに
 1.調号なしで書いて、全部臨時記号で対処
 2.メインと思われる調の調号で書いて、後は臨時記号で対処
 3.転調の度に、調号を変える
他にもあるかもしれないけど、これだけパターンが浮かびますね。もちろん、転調の長さとか、基本的な調性があるかとか、いろんな要素で変わってきますが、それを読み解くだけで何か訴えるものがわかってくるかもしれません。と、ここまで書いて、後は続く(のか?)。

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