2006年3月2日木曜日

賞を取るということ

ご存知のとおり、トリノオリンピックでは日本勢惨敗でしたね。
今回のオリンピックで一番印象に残っているのは、女子モーグルで5位だった上村愛子さんの言葉。「どうやったらメダルが取れるんでしょうね。未だに謎です」っていうようなことを言っていました。
なんだか、じんわりと響いてくる言葉です。これまで一生懸命がんばってきて、何とかメダルを取りたかった。その悔しさがひしひしと伝わるのです。
順位というのは恐ろしいものです。どんな僅差であっても、順位という絶対的な指標の中で、序列化させられてしまいます。その僅差は、例えば当日の天候とか、競技場のコンディションとか、その日の食事とか、直前に話かけた人の言葉とか、実はそんなもので変わってしまうものかもしれません。そんなあやふやなもののために、4年間それだけを思い続け、練習にいそしむというのはどんな気持ちなんでしょう。
確かに私のような門外漢には、順位というのはとても分かりやすい指標です。世界の選手が頭から順に並べられ、一度にレベルを把握することが出来ます。選手にとっても、銀や銅より金のほうが嬉しいし、メダルは無いより、あったほうがいいに決まっています。でも、4位と3位の違いは、単純な実力差だけではないはずです。
そして、私たちはもっとそのことに想像力を費やしても良いと思います。

私事を振り返ると、やはり作曲コンクールなんかに同じ思いを感じますね。
本当は、絶対的な指標など無いのに、○○賞を取ったとか、取れなかったとか、そういうことで判断される。所詮コンクールなんて、そのとき集まった作品の中の相対評価なのに、賞暦は何やら絶対的な肩書きとして認識されるようです。
むろん、応募するのだから賞を取りたいのだけど、ほんとにどうやったら取れるのか、未だに謎ですよ。

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