2015年4月4日土曜日

AIとシンギュラリティ

AI関係の話題が多い昨今。専門家でもAIを肯定的に捉える人もいれば、否定的に捉えている人もいて、私のようなAI技術の素人には予想もつきません。

それでも、私自身の率直な感想を言えば、仮にシンギュラリティのような事象が発生して、AIが人間を凌駕してしまったとしても、それはそれで受け入れてそういう未来を見てみたいという気持ちもあります。間違っても、科学の進歩に否定的になったりAIの存在を否定したりする気持ちにはなれません。


以前、AIについて、こんなことこんなことを書きました。
これは、人々が何となく思っている人間のように振る舞うAIなんてあり得ないんじゃないか、という主張です。もちろん、今でもその気持ちには変わりないです。

恐らくAIがまず我々の生活に入り込むのは、エキスパートシステムからだと私は思います。
例えば、ラーメンを作るロボットを作って、あるラーメン職人の仕事をサンプリングし、AIに学習させたとします。どの程度の間学習させるか、ということについては私は詳しくないですが、ある時点で、AIはこの職人のラーメン作りをほぼ完全に模倣できるようになるでしょう。
学習を徹底的に進めることによって、その職人自体が持っている出力の振れ幅より(毎日の微妙な味の違いというような)、さらに振れ幅が少なく、均質な味を作り続けることが可能になることでしょう。

その人にしか作れなかった味は、その学習結果を他のロボットに転送することで、どこでも手に入れることが可能になります。
料理ロボットが家庭で一般的になれば、ラーメン職人だけでなく、世界中の有名シェフの味を家庭でも堪能することが可能になるかもしれません。


料理は非常に分かりやすい例だと思いますが、世の中には、何年もの間同じ仕事をし続けて、熟練してその人にしかできない、といった職人ワザがたくさんあると思います。
機械的にその人と同じように動けるロボットが作られ、そこにAIのエキスパートシステムが載せられれば、職人ワザそのものを量産することが可能になります。
ある場所に隠されていたエキスパートシステムが、瞬く間に世界に広がりコモディティ化してしまう、という未来があるタイミングで起きることは容易に予想できます。

AIといって人々が思い描く未来は、ほとんどの人がロボットと人間の共存といった世界だと思うのですが、実際にAIが入り込むのは、まず産業であり、ビジネスの領域だと私は思います。
すでに多くの工場では、無人化が進んでいますが、それはさらに加速するでしょうし、先程書いたような料理ロボットが可能になれば、飲食店のあり方も、様変わりするでしょう。自動運転車で流通もそのうち無人化されるでしょうし、恐らくちょっとした処方箋を書くだけの内科の医者でさえAI化は可能でしょう。
それと同時に、オフィスワークもAI化され、単純な会計、税務処理や法務関係とか、定型的な業務がAIベースのWebサービスに置き換わるかもしれません。
プログラミングでさえ、ある程度の要求仕様をインプットすれば、素晴らしい精度のコーディングが出来るようになる気がします。


AIの発展がまず私たちにもたらす社会的問題は、失業問題ではないでしょうか。
これだけ多くの仕事がAIで置き換わっていけば、多くの会社で必要ない人が増えていきます。また、新しい会社がこういう技術をうまく使いこなしていけば、使いこなせない企業が淘汰されます。いずれにしても、世の中には失業者が増えることになります。

そして、その次にやってくる問題は、あらゆることがAIのエキスパートシステムに置き換えられた結果、そのような職人技を持っている人が死に絶えた時、人間に何も習熟すべき技術が残らなくなるということです。
そもそもAIに命令するのが人間なのに、AIのやっている技術レベルに命令する側が追いつけなければ、AIを使いこなすことさえままなりません。
これは、ひたすらAIの学習方法を研究し続ける人だけしか、職業を持てなくなるような社会であり、AIへの命令さえAI化することによって、まさにシンギュラリティといった、人間不在の社会が現れることになり兼ねないのです。

しかし、今の社会は人間の欲望を満たすために作られているのであり、人間不在の社会、などという概念自体、何か自己矛盾のような気がします。
シンギュラリティ後のAIは自らに何を望むのか、そんなことまで思いを馳せてしまうのですが、これはあながち遠い未来のことでも無いのかもしれません。

微妙にダークな話になりましたが、そのようなシンギュラリティを人間が自ら回避する流れも起きるでしょう。そのときに議論されるであろう「人間とは何か」という問いこそ、私が最も興味のあるテーマでもあるのです。


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