2013年5月5日日曜日

特許とか著作権とかでしばることが時代遅れになるかも

前々回の「カマボコオルガン」に関連して、出来る出来ないはともかく、こういうことをいち早く公表した方がいいんじゃないかと思った心境など語ってみます。


作る前にアイデアを公表してしまう場合、まず誰かにそのアイデアを盗まれないかが心配になります(それほどの内容かはともかく)。だから、今までの常識でいえば、通常はアイデア段階のものをそれほど表に出すことも無いものだと思います。

そもそも特許とか著作権とかいう考え方は、誰かが考え出したアイデアをそのまま真似されて、損をするようなことがあったからこそ、生まれたものではないでしょうか。
しかし、このアイデアを真似されて損する、というのはどのような状況で成り立ち得ることなのでしょうか。

アイデアを考えた人が、それを実現するだけの十分な生産能力を持っていなくて、逆にアイデアを盗んだ人がその生産能力を持っていた場合、これは最初に考えた人は損することになります。
もし、アイデアを盗んだ人がそれによって大きな利益を得たのなら、アイデアを考えた人がその利益から幾ばくかの分け前を頂くべき、とは誰もが思うことでしょう。

もう一つ、上のような事態になる原因として、買う側に「誰のアイデアか」という関心がほとんど無いという条件もあると思います。あるいは、それについて知る由もないという状態。
これは意外に大きな要因だと思うのです。買う側にとって、便利なものが目の前にあればそれを買えば良いだけのこと。
しかし、それでも実はその商品の基本的なアイデアは誰か別の人が考えていて、その商品はそのアイデアを盗んだものだと、もし買う人が知っていたらどうでしょう? それでも人はその商品を買うでしょうか。道義に反すると人々が感じれば、それは商品にとってもずいぶんマイナスのイメージにならないでしょうか。
情報化時代には「アイデアを盗んだ」ことがバレ易くなるはずです。そしてそれは、その商品価値にとって大きな打撃になると私には思われるのです。

もう一つは、アイデアはたった一つではなく、芸術作品のようにトータルなイメージで醸し出すものであるとすると、その価値はまるっきりマネをしない限り得られないものと思われます。
例えば、ある文学作品の特定の章だけ抜き出しても、盗んだ側がオリジナルと同じだけの効果を得ることは不可能です。
これは単体機能(アイデア)でも取得可能である特許より、著作権が得意な分野になりますが、アイデアが芸術性を帯びるほど、真似ることは困難になり、丸コピーするしか手が無くなるのです。


このようなことを考えてみると、これからの時代、特許や著作権という形で自分のアイデアを法的に保護しなくても全然問題無いのではないか、むしろそのような保護をすること自体がアイデアの発展を阻害するのではないでしょうか。

上で書いたように、特許を登録などしなくても、ネット上で公開すれば、誰がいつそのアイデアを公表したかはすぐ分かります。
ある程度の規模の会社なら、誰かのアイデアを無断で真似ることはむしろリスクが高すぎます。もしバレたら会社の信用がガタ落ちです。普通考えれば、まともな会社ならそんなことをしないでしょう。
むしろマネをしたい企業が、アイデア保持者に対して利用の許可と、適切な対価を払うことを約束した方が、両方ともWin-Winの関係になるはず。

また今の時代、ソフトウェアによる技術が主流になっていくと、特許の考え方も少しずつ変わっていくのかなと感じます。
なぜなら、ソフトウェアはいかようにも書けますから、よほど基本的なことでない限り、特許回避は比較的可能です。単機能の特許なら、むしろ特許化して公表することは、特許回避の手段を考えさせることに繋がります。
しかし、莫大なソフトウェアを完全に模倣することはかなり難しいです。ソフトウェアである世界観(OSのGUIなど)を構築した場合、これを同じように真似ることは相当な工数が必要になります。
このような場合、ソフトの仕様を真似て自力で作るより、オープンになっているソフトウェアをそのまま利用した方が圧倒的に効率の良い開発が行なえることでしょう。
つまり真似する側は、似て非なるものを頑張って作るより、許可を得て、オープン化されたソースコードを利用させてもらう方が、利益を得るという意味で理にかなっています。

このようなことを考えていくと、情報化が進むほど、アイデアが作品性を持ち世界観が明瞭であればあるほど、無許可の模倣は難しい時代になってくるのではないかと考えるわけです。
そして、そのような時代には、思い付いたらまず公表してしまう、というのが正しい考え方ではないかと私は思います。


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