2012年11月17日土曜日

過激な変化に対応出来るか?

日本人は新しいテクノロジーは大好きなのに、社会の仕組みや人間関係、道徳的なことに関してはとことん保守的だと感じます。
IT技術は、単なる技術であるうちはみんな大好きだったのです。ところが、IT技術の意味するところは、もっと人間社会を根底から変えるような、社会的、道徳的な変化であるように私には思われますし、それが日本人が超えたくない壁になっているのではないでしょうか。

やっぱり本は紙の本でなければダメだ、とか、人と人は結局、直接会って話をしたほうが良い、とか、私も文脈によってはこういうことを人に言います。
しかし、それはAll or Nothingなのではなく、紙の本で無くても良いものもある、とか、直接会わなくても何とかなる場合もある、のであって、そういうことまで否定してしまうと、変化を受け付けない偏屈な態度になってしまいます。

私たちが今、それが自然だと思っていること、常識だと思っていること、に対して、どれだけ「もしかしてそうでなくてもいいのかも』と思えるのか、そういう柔軟性がこれからは大変重要なのではないでしょうか。

常識だと思うことを疑ったら、という身近な例を一つ。
例えば、通常新商品を開発する場合、新商品を開発していることは秘密にされます。
もし今開発中である、ということを公開すれば、現行の製品が売れなくなる可能性があります。何かを製造して販売する会社であれば、多くの人が先行開発に関わっているし、販売する前には工場においてもたくさん製品が作られます。もちろん、お店に流通するまでにも多くの人たちが関わります。こういう人たちに秘密を強要するのは大変なコストがかかります。

それを最も過激にやったのがアップルで、ある商品が発表されると翌日から店で買うことが出来る、というとんでもないことを最近までやっていました。
相当な人数に対して箝口令が敷かれていたわけですが、そのために費やしたコストもバカにならなかっただろうし、そのコストを回収出来ていたのかもやや疑わしいです。
一般的には、発売一ヶ月くらい前に新商品を発表し、そこから流通を始めるくらいが秘密を守れる限界といったところと思われます。

しかし、いっそのこと新商品の開発を開発している間、全て公開してしまったらどうでしょうか?
そんなことをしたら発表時の新商品の驚きも無いし、逆に世間の食いつきが悪くなってしまうと思うかも知れません。また、新しい技術や仕様が事前にわかってしまうとライバルメーカーを利することになると思うかも知れません。

同じ業界にコンペティターが数社の場合なら確かにそうかもしれません。しかし、それが数百社あって、どの会社もそれぞれ固有の顧客を確保している場合はどうでしょう。
また、IT技術の進展で、お客と会社がダイレクトに繋がり、意見や要望を企業が聞いたり、逆に使い方の啓蒙を企業側が直接個人のお客に行なうようになれば、秘密にしていることが逆によそよそしい関係を促してしまうような気がします。

自分の仕事の過程を全て公開することは、仕事の質を高めます。すでにソフトウェアの世界ではオープンソースによる技術が一般的になり、企業で作られているソフトウェアより開発のスピードも速く、十分な品質が得られています。これは常に他人から見られていることが質を上げる効果に繋がっているものと思われます。
また、この過程を公開することによって、それが一種の宣伝効果になる可能性もあります。新しい技術をどのように実装して、どのような問題が起きて、どのように解決したのか、そういうことをリアルタイムで見ている人は開発の臨場感も得られるし、そうやって出来上がったモノに対しても何らかの愛着を感じるかもしれません。

私自身は、大企業でないのなら、新商品開発を秘密にするメリットはほとんど無いと感じていますし、逆にそういうことが一般的になってくれば、大企業こそ秘密で冷たい感じを抱かれるようになり、よほど優れたものでない限りはかえってマイナス効果になるのではないかという感じさえあります。

上の例で言いたかったことは、IT化により「秘密にする」ことがどんどんデメリットになっていくのではないか、ということです。そして、私たちが今、秘密にすることが当たり前だと思っていることでも、いつかはそれが当たり前ではなくなっていく可能性がある、という一つの例として挙げてみました。

IT化はそのような過激な変化を私たちに突き付けているように思えます。
私は結構過激な変化について考えることを好きなのですが、皆さんはいかがでしょう?


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