2010年10月30日土曜日

理系度から見る私の変遷

今回も何となく自分史の振り返り。
まあ、どう考えても私はこれまで理系人間として生きてきたわけですが、その気持ちはずっと一様だったわけではありません。
高校時代まで私は完全に理系人間でした。数学、物理は好きだけど、国語、社会は嫌いと公言していたくらい。今の私から見れば、国語や社会の大切さを説教したいくらいですが、頑なに私は理系でありたいと思ったし、曖昧な結論になりそうな学問を嫌っていたのです。
このときの気持ちがほとんど変わっていなければ、私は今でもごく一般的な理系技術者の一人であったことでしょう。

そんな私が大きく変わったのは大学時代。
大学時代、私は完全に文転していたと言っていいくらいなのです。工学部に入った私ですが、サークル活動に明け暮れ、受験から解放され勉強に興味を失った結果、授業に全くついて行けなくなりました。これマジです。高校の頃まで、授業が分からないなんてこと無かったのに、もう物理なんてさっぱりです。講義内容が分からない劣等感を感じながらも、残念ながらその頃の私は奮起することは無かった。

その一方、合唱団での活動が増えるにつれ、文系の人たちに影響され、それまでまるで興味がなかった文学や芸術の世界に目覚めます。もとより小説を読んだり、音楽を聴くのは好きだったけど、高校までの私は推理小説とか、ポップスとか、ごく一般的な流行りのものしか興味がなかったのです。
しかし大学入学後、古典文学や哲学、心理学といった文系学問に興味が移り、音楽もクラシックを多く聴くようになっていきました。理系に属しながら心は完全に文系になっていました。

その後、技術者として就職しましたが、幸か不幸か、私はコンピュータのソフトウェア技術者となります。いわゆるプログラマーですが、多くの人が誤解していると思うのだけど、プログラマーは必ずしもバリバリ理系的な仕事ではありません。
一応、今の世の中コンピュータに関する学問は理系に属していますが、プログラムを書くだけなら、理系文系はそれほど関係無いと思います。プログラミングとは論理思考の権化みたいな技術ですが、ロジカルな思考は文系であっても非常に重要なハズ。通常、コンピュータで解決したい問題領域が理系学問に多いから、理系っぽく思えるだけなのです。
私は、就職以来、プログラミングを覚えていきましたが、理系的な領域には苦手意識を持ったまま、大学時代に心に根ざした文系的生活を送っていました。

とはいえ、私のもともとの性向はやはり理系だったのでしょう。
私の理系としての能力的限界は、すでに大学時代に実証済み。しかし、それを肯定して、専門的なところは専門家に任せることにして、一般的な事柄についてはもっと理系的に処理できないかと思うようになりました。
その大きなきっかけは、たまたま社内の研修の一環でデジタル信号処理を再勉強したことにあります。大学でも多少触りはやっていたものの、当時はやる気もなかったので、全く身についていませんでした。
しかし、冒頭のオイラーの公式で私は目覚めました。えー何だって! 指数関数と三角関数が、自然対数と虚数によって結ばれるなんてスゴ−い、という理系のくせに今まで何してたんだと言われかねないような驚きを感じたわけです。
その後完全に身についたとは言わないまでも、フーリエ変換とかz変換を再勉強し、伝達関数を算出し、各種フィルタ計算を行う方法を知るにつれ、理系的な喜びが再び復活してきました。

とはいえ、日々業務の中でそのような知識を日常的に使うわけでもなく、専門家として習熟するというよりは、広範な知識としての理系への興味を常に持ち続けています。
しかし、思い返せば、今面白いと感じる理系学問は全て大学時代に一度はかじっていたわけで、今の私から見れば、当時の私に数学や物理の楽しさを説教したいくらいなのです。

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